木下晴弘「感動が人を動かす」24「教師の一言で、人生が変わった」 

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シリーズ「感動が人を動かす」24

     「教師の一言で、人生が変わった」 

      「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

 

大阪の旭区に、いつもお世話になっているめちゃイケの私立学校がある。そこでは年に数回、社会人卒業生たちが後輩に仕事ぶりを講義するイベントが開催される。ある年講義を担当したのは四十歳になるオペラ歌手のE君だった。素晴らしい熱唱に後輩の生徒たちは一瞬にして静まり返ったそうだ。

そのE君が入学してきたときに担任だったJ先生と2年前、梅田にあるオシャレなBARに飲みに行った。

平成元年、彼はラグビー部入部を夢見てその高校に入学した。しかし、練習中の怪我が原因で結局部活をやめてしまう。自暴自棄になり、授業中の態度は崩れ始めた。教室の正反対に座す友人と大声で雑談をするなど、日ごと荒れていくのが見て取れた。ある日担任だったJ先生はこう話しかけた。

「チューバを吹いてみないか?」

J先生は音楽の先生で、吹奏楽部の顧問。特にピアノに関してはコンサートを開くほどのプロである。

「君の体格なら、少し練習すればいい音が出るぞ。どうだ、やってみないか?」

放課後音楽室にやってきたE君に部員の一人がチューバを手渡した。重いチューバを軽々持ち上げたE君が、力任せに吹くとチューバは逞しく鳴り響いた。部室に拍手が沸き起こる。そしてE君は部員になった。熱心に練習を続けていた彼だったが、授業態度は相変わらずだった。そんなある日、E君は思いつめたように相談にやってきた。

「先生、俺、声楽家になりたい」というではないか。J先生は言った。

「確かにお前は体格にも恵まれているし声もいい。しかし、部活でチューバを吹いているのと、声楽家として人生を歩むのは大違いだ。理由はなんだ?」

だが、明確な答えはなく「声楽家になる道を示してほしい」と日々繰り返すのだった。根負けした先生は言った。

「声楽家になるのなら、音楽大学に通う必要がある。国語や英語といった入試教科の勉強も必要だ。今のお前の成績では話にならん。そしてピアノの訓練も必要だ。専門の先生、防音のピアノ室・・・かなりの費用が必要だ。おうちの人はなんて言ってる?お前ひとりの問題ではないのだよ」

数日後J先生は、E君の家を訪れ彼の両親にありのままを伝えた。息子に「考え直せ」と迫るはずのお父さんは意外な言葉を言った。「先生、どうか息子の言うようにご指導ください」

翌日、先生はE君に告げた。「お前が本気かどうか試してやる。まずは授業態度だ」

「わかった!先生、俺、夢のために頑張る!」

この日から彼は人が変わったように努力を始めた。各教科の先生方からの評価も劇的に好転した。少なくともそのときは彼が本気であるかに見えた。しかし、その努力は続かなかった。数週間たったある日、他教科の先生から「E君最近授業中、居眠りばかりですよ」と報告があった。J先生はすぐ教室にいき、E君の襟を捩じ上げ「このやろう!夢だ何だと調子のいいことを抜かしやがって!人生をなめるんじゃねぇ!」拳骨が頬に飛んだ。

彼を別室に連れて行き、彼に本気度を問いただした。しばらくの沈黙の後、大粒の涙とともに彼は話し始めた。

「先生、ごめんなさい。何とか今まで頑張ってきたんだけど、このしばらく、ほとんど寝ていないからついついうとうとしてしまいました。本当にごめんなさい・・・」

家庭訪問があった翌日から、ピアノの授業料を稼ぐため、父と一緒に新聞配達のアルバイトを始めたこと。お母さんは今までやっていたパートの仕事に加えて、サンドウィッチ工場に働きに出始めたこと。彼の夢を支えるために、家族が一丸となって毎日を送っていることに、涙を流しながら感謝の言葉を述べる彼。初めて聞く内容に先生は何も言えなくなった。ただ一言「殴って悪かったな。許してくれ」とそういった。

翌日から先生の激務が始まった。音大時代の恩師に連絡を取り、E君の自宅近くで専門指導の出来る先生を探してもらった。その先生のところに日参し、出来る限り授業料を安くしてもらうべく頭を下げた。なんと、J先生の自宅にあるピアノ室に防音工事まで施し、いつE君が来てもいいように開放したのだ。

先生の本気はE君に乗り移った。成績はグングンと上昇を始め、誰もが不可能と思っていた音大に見事合格していくのである。

合格報告に来たE君に、先生は以前答えを聞けなかった質問をぶつけた。

「本当に、本当によく頑張ったな。覚えているか?お前が突然、声楽家になりたいと申し出てきたとき、俺はなぜ声楽家なのかを尋ねた。もう一度聞いていいか?なぜ声楽家だったんだ?」

E君は話し始めた。

「小学校の音楽の授業で、先生の弾くピアノに合わせて歌うテストがありました。そのとき僕の歌を聞いた先生が『E君、いい声だね~!オペラ歌手になれるよ!すごいね』って言ってくれたんです。その日から、我流だけど、実はずっと歌の練習をしていたんです」

音大入学後E君は借金でイタリアに留学。本当にオペラ歌手になって帰国し、後輩にその美声を披露したのだ。

オシャレなBARの片隅で、そのプチ紳士は氷の解け始めたロックグラスを傾けてこう言った。

「教師が何気なく言ったその一言で、子どもたちはとてつもなく大切なことを決めていき、そして人生を変えていく。こんなに素晴らしく、そして恐ろしい仕事、ないですよね」