木下晴弘「感動が人を動かす」17
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シリーズ「感動が人を動かす」17
「新幹線新大阪駅ホームでの小さなドラマ」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者 木下 晴弘
5月のとある平日。大阪は朝からきれいに晴れ上がり、初夏の匂いを含んだ風が吹き抜けていました。
この日東京出張のため、新大阪駅で新幹線を待っていたときのことです。予定時刻よりもかなり早く駅に到着した私は、ホームにある自動販売機でペットボトルの水を購入し、売店に並んでいる週刊誌の表紙を少し離れた場所から何気なく眺めていました。その視界に現れたスーツ姿の男性。右手でシルバーのキャスターを引き、左手にはカフェで購入したであろうアイスコーヒーが握られていました。透明の容器の蓋にはストローが刺さっており、すでに半分ほどに減っていたでしょうか。その男性はまっすぐ売店に進むと、キャスターを週刊誌の陳列棚から少し離れた場所におき、そのキャスターの取手の横にある狭いスペースに、コーヒーの容器を器用に置くと、財布を片手に数歩前進し、購入する週刊誌を選び始めました。
ほんのつかの間、あるじの帰りを待つシルバーのキャスターとその上に置かれたアイスコーヒーの透明容器。その取り合わせに忙中閑ありの風景を見出していたのですが、生来、花より団子の私は『しまった・・・アイスコーヒーという選択肢もあったな・・・』と、我が手中にあるペットボトルを恨めしそうに眺めながら、ちょっぴり後悔をしていたのです。
さてその男性はというと、なかなか購入を決められず、パラパラとページをめくっては戻し、また他の週刊誌を手に取るということを繰り返していました。そこに現れたのが初老のご夫婦と思われる上品なお二人。いでたちもとってもお洒落なカップルで、初夏の風に似合う爽やかな雰囲気をお持ちでした。お二人は和やかな笑顔で会話を楽しみながら、週刊誌を選ぶ男性の後ろに並びました。普通、列に並んでいるとき、自分が購入しようと思う商品を目で物色しそうなものですが、そのときの彼らにはお互いの笑顔しか見えていないご様子でした。次の瞬間、弾む会話に大きなゼスチャーをとった女性のカバンがキャスター上のアイスコーヒーを直撃したのです。
容器はホーム上に落下し、バシャッという音と共にコーヒーとクラッシュ氷が散乱しました。「きゃぁ、ごめんなさい」その女性はそう叫んだものの、どうしていいかわからずおろおろしておられます。「いや、これは本当に失礼しました」旦那さんも同調して謝ります。それを受けてスーツ姿の男性は答えました。「ああ、いやいや、こんなところに放置しておいた私が悪いんです。どうぞお気になさらないでください」ちょっとした悲劇が、お互いに譲り合う声かけのおかげで、少しあたたかい雰囲気に変化した瞬間でした。
そのとき「はいはいはい、ここはやっておきますからね~」とモップとちりとりを手に登場したのが売店のおばちゃん。手際よくこぼれたコーヒーを拭き始めました。(でたっ!ひょっとしてまたもや大阪のおばちゃん?)
初老の女性と、スーツの男性はそろって「すみません。ありがとうございます」とはもっておられました。お掃除が終わるまでの数分間、初老の女性とスーツの男性と売店のおばちゃんの3人はにこやかに話しているのです。『ああ、こんな終わり方ならトラブルもいいもんだな』と感じていました。
後から来た人が滑って転ばないようにと、念入りに水分をふき取って、お掃除が終わったときでした。最初に一言発したままどこかに消えていた初老の男性が小走りに戻ってきたのです。そしてその片手には新しいアイスコーヒーが入った袋が握られていました。「本当に申し訳ありませんでした。これ、どうぞ」「いや、むしろ僕が悪いんで」「とんでもない、そういわずに」「そうですか・・・ではお言葉に甘えていただきます。ありがとうございます!」こんな会話が交わされたあと、4人は爽やかにその場から解散となりました。その場に立ち会えた私は本当に幸せでした。