木下晴弘「感動が人を動かす」7

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「感動が人を動かす」7
「いいじゃないか」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

熊本に早稲田スクールさんという塾があります。塾生に「勉強は自分のためにやるものではない。周りの人たちを幸せにするためにやるんだ」ということを徹底して指導され、人を幸せにする喜びを知った生徒たちが、みんな勉強を楽しむようになり、その挙句に難関校に合格してしまうという、それはそれは素敵な塾です。先日、その塾の塾長でいらっしゃる、向田敬二先生から素敵なお話をお聞きしました。
塾はいわゆる夜のお仕事なので、業務がすべて終了するのは夜の11時をまわったころです。帰宅すれば愛する奥様の手料理が迎えてくれますが、なにぶん寝る直前の食事になるため「食べずに待っていてくれ」ともお願いできず、仲良しの奥様と、食事をなかなか一緒にとれないことが常々残念でならなかったそうです。そんなある日のことでした。熊本ではちょっと人気の有名ラーメン店が自宅から車で40分程の距離にオープンするというチラシが目に飛び込んできたのです。「この日は無理すれば少し早めに帰れるかもしれない。たまには一緒に外食して、二人で過ごす食事時間を楽しもう」そう考えた向田先生は、早速奥様にそのプランを提案してみました。もちろん奥様も大喜び。たかがラーメンといってしまえばそれまでです。お二人にとっては久しぶりのデートとなるわけですから、その日がくるのをとっても楽しみにしていたそうです。
いよいよその日がやってきました。少し早めに帰宅した向田先生。奥様はすでに準備OK!早速そのラーメン店に車を走らせました。車の中では和やかな会話が交わされ、やがて目的地に到着。お店は思ったほどの混雑ではなく、お二人はすぐに席に着きオーダーを済ませました。店内を見回し二言三言感想を言い合ったそのときでした。奥様が「ちょっと待って・・・」といってバッグの中をごそごそと物色し始めました。そして奥様の顔色はどんどん変わっていきました。「あなた、ごめんなさい。お財布を家に忘れてきちゃったみたい。本当にごめんなさい」
さて、読者の皆さんは、この言葉をきいた次の瞬間どんな表情で、どんな一言を口にしますか?
私なら、喧嘩はしないまでも、ちょっとしかめっ面で「何やってんのさ~」くらいは言ってしまうと思います。
ところがこのとき向田先生は一瞬の逡巡もなく、満面の笑顔で「ああ、いいよいいよ。だったらうちへ帰ってインスタントラーメンでも食べようじゃないか。お前と一緒に食べられるんだったら、俺は何を食べてもいいんだよ」そういって店の人に事情を話して注文をキャンセルしたのです。
この話をしてくださった向田先生ご本人も「どうしてあんな穏やかなリアクションができたのか、今でも不思議なんですよね。以前の私なら、おそらく一言くらいは嫌味を言っていたと思うのです。でも嫌味を言ったところで、財布が湧き出るはずもなく、お互いさらにいやな気持ちになるだけなんですよね。そのお店に行った目的は何かということを、その時見失わなかったからできたことだと思うのです。年をとったということでしょうか」と穏やかに笑っておられました。
とっても素敵なお話だったんで、思わず皆さんにお伝えしたかったのです。
さて、この話にはもう少しだけ続きがあります。
結局ラーメンを口にせず帰宅することになった車中で、奥様は「確かに入れたはずなんだけどなぁ」と引き続きバッグを探しておられたそうです。「あはは、いいじゃないか。そんなこともあるさ」と向田先生が答えたその時でした。「あっ!こんなものがあったわ!」と奥様が取り出したのは小さなのし袋。
実は、たまに外出中に家族連れの社員さんと出会うことがあり、小さなお子さんがいらっしゃる場合はお小遣いをあげるために、バッグに入れておくのだそうです。「やったやった」と奥様があけてみると、中に入っていたのは三千円。すぐに引き返し、お二人は美味しくラーメンを食べたそうです。
「いつもより数段美味しいラーメンでした」とおっしゃった向田先生の笑顔がまぶしく見えました。
熊本ラーメンは、身体だけでなく心も温めてくれそうです。