三月九日

滋賀県東近江市の高校教諭・北村遥明さんは、毎月、心の勉強会「虹天塾近江」を主宰し、さらに個人新聞「虹天」を発行されています。
そこから、心に響くエッセイを紹介させていただきます。

「三月九日」

鑑別所で生徒と面会
もう十何年も前のことです。私は高校三年生の担任をしていました。学級にとても素直で周囲からの信頼も厚いN子がいました。彼女は二学期に進路先が決定していました。
そして、残すは卒業のみという三学期に入った頃です。学校に電話が鳴りN子が補導されたというのです。彼女は決してやってはいけない大きな問題を起こしてしまったのです。鑑別所に送られ少年院に行くかどうかの裁判を受けることになりました。私は、「あのN子が!?」と全く信じられない気持ちでした。
私はN子に会うため、鑑別所という施設に初めて行きました。鑑別所の職員からN子が既に自分と向き合う教育を受けているという説明を受けました。私が面会部屋で緊張しながら待っていると…、

ガチャ

と扉が開き、静かに彼女が入ってきました。
彼女はうつむき 、申し訳なさそうなさそうな表情を一瞬見せました。でも、その後は既にたくさん受けた教育プログラムの成果でしょうか。前向きな言葉も発していました。そこには私が彼女を反省させるという仕事の出番はありませんでした。ただただ彼女の話を聞くばかりで、
「なぜ彼女が…こんな良い子なのに…」という思いしか湧きませんでした。
私は彼女が裁判を迎える前日まで毎日手紙を書きました。その手紙の中には何か彼女のためになるような文章もコピーして、毎回欠かさず同封しました。

二度と同じような過ちをさせないために
裁判の結果が出る当日。朝からソワソワしていました。もし、少年院送りということになれば、決定していた進路先に辞退の連絡もしなくてはいけません。
昼過ぎにお母さんから連絡が来ました。判決の結果は、
「少年院に行かなくてもよい」
というものでした。彼女はその判決の瞬間涙がこぼれたそうです。

彼女の次なる指導が学校に任されました。彼女のやったことは退学に値するような内容だったので、最初は他の教員は渋々彼女の指導に当たる状況でした。それでも、彼女は先生方の話をしっかり聞き、反省の想いを述べ、悔やむ気持ちを語りました。
そうした、反省の日々が続きましたが、やはり彼女は他の生徒たちと一緒に三月一日に卒業することは許されませんでした。担任の私としては、全員揃って卒業式を迎えることができない悔しさもありました。けれども、彼女に二度と同じような過ちをさせないための大切な指導の時期でもありました。

たった一人の卒業式で
その後も一週間ほど彼女は様々な課題や取り組みをしながら反省し、そして迎えた三月九日に校長室で 彼女一人の卒業式が行なわれました。私は学年の先生方だけが立ち合う卒業式になるかと思っていました。しかし、在校生の授業中にも関わらず十名以上の先生方が参列してくれました。
たった一人の卒業式が始まりました。校長先生は彼女のためだけに式辞を書いて読んでくださいました。校歌や君が代はラジカセから流れる音でした。
その後、私はN子の呼名をしました。

「はい」

と返事をした彼女は緊張の表情で卒業証書を受け取り、ゆっくり席に戻りました。
そして、いよいよ退場となる場面。教員みんなで最後の見送りをしようとしました。
しかし、彼女はなかなか退場しません・・・。

彼女は退場せずに、すうっと職員席の方に寄ってきたのです。
そして、その日参列した先生方全員の名前を一人ずつ挙げながら、それぞれの先生に対してポツリポツリと言いました。

「○○先生、あの時私のために大切なお話をしてくれてありがとうございました」

「△△先生からは大切なことを学びました」

「☆☆先生、私のことを励ましてくださって心に染みました。ありがとうございます」

こんな言葉を 次々に述べていったのです。
そして最後に、私の前に立ちました。

『3月9日』をギターで弾き語り
「北村先生、先生は私が鑑別所にいる時に毎日手紙を書いてメッセージをくださいました。
二年生の時と三年生の時、担任だったので、手紙の中で先生が私に対して言いたかったことは本当によくわかりました。ありがとうございます」

と言ってくれたのです。
私は涙をこらえられませんでした。その涙の理由はただ私が感動したからだけではありません。彼女の言葉を聞いていく中で、どの先生方も彼女のために愛情を持って接してくださったこと。そして、その愛がちゃんと彼女に伝わっていたことが心に染み入るように分かっていったからです。また、忙しい授業の合間をぬって彼女一人の卒業式に参列してくださった有難さが一気に身に染みてきたからでした。

式後、私は別室で彼女とご両親にお祝いの言葉を贈り、最後にギターの弾き語りでレミオロメンの『3月9日』を歌いました。

今、あの時のことを思い出しても、なぜ彼女が過ちをおかしたのか、どうしていたら防げたのかは今もわかりません。「彼女の見えないところまで見ようとする姿勢がもっと私にあれば未然に防げたのか…」と考えることもあります。
でも、教員の最後の仕事は
〝信じて応援すること〟
しかないのかなと10何年たった今でも思えます。
そして、金八先生の時代からずっと変わらない大切なこと…それは、
〝そこに愛があるか〟
なのではないかと思います。

このお話を読んだすぐ後で、「3月9日」のPVを観ました。思い出がいっぱい詰まった卒業式。それは生徒だけでなく、先生方にとっても思い出なのですね。彼女は今、どこでどんな暮らしをしているのでしょうか。幸せならいいな・・・。
(編集長・志賀内)