頬の傷跡と作文のこと

「頬の傷跡と作文のこと」

「私の右頬には大きな切り傷の縫いあとがある。3歳の時、母の実家に帰省した時、田舎の高い縁側から落ちて、靴ぬぎ用の大きな石の角で大怪我をしたのだ。68年も前のこと。しかも山陰の山奥ですぐに治療を受けられなかった。血まみれで泣き叫ぶ私を抱きしめ、小一時間かかる病院へ駆けた母は、どんな思いだったかと思うと、今も胸がつまる。
9針。幼い顔に、縫い跡が生々しく残った。その傷跡のことを気にすることもなく、両親や近所の人達の愛情を受けて明るく育った。しかし、三年生ぐらいになると男の子たちからからわれるようになった。心底悲しかった。悪意はないのだ。子供は、相手の気持ちを考える余裕もなく、思ったことを全部口にしてしまうものだ。でも、それは大人になってわかること。
辛かったけれど、子ども心に「親に言ってはいけない、きっと悲しむに違いないから」と思った。泣きながら家に飛んで帰り、店にいる親に知られぬようにして、一番奥の部屋で泣いていた。ある時、ふと思った。「この傷跡がなければ、からかわないのだ」と。鏡台にあったカミソリを頬にあててみた。「切り取ってしまおう」。しかし、何度も頬にあてながらも、恐くてできなかった。
4年生の時、担任の男の先生によく作文を書かせられた。毎回、テーマが出されると嬉々として書く。「私は読書だけでなく、作文も大好きなんだ」と気付いた瞬間だった。先生は、みんなが提出した作文を、各々、鉄筆で蝋ぬりの原紙に書き移させた。それを輪転機で印刷し、ホッチキスでとめて文集にする。私は、ときどきみんなの前で読むよう言われた。それも楽しいということに気付いた。
世の中には自分で治せぬハンディを背負った人達がいる。顔の傷もそうだ。自分の好きなことを才能として伸ばせば、自信ができる。すると、からかわれても強く平気になれる。今だから思う。先生はおそらく私がからかわれていることを知っていて、「泣くのはやめなさい」と自信をつけさせてくれたのに違いない。先生、ありがとう!