釘山健一さんプロフィール

話し上手で聞き上手、企画上手で速攻行動家

 小、中学校、幼稚園と子ども達にあった学習方法の開発に情熱を燃やし続けた熱血教員時代。中学校のサッカー部監督として全国大会に出場。ベンチャー企業の営業部長として株式上場を目指し猛烈に働くが、バブル崩壊の余波で会社が倒産し債権者に追われる。その後、環境NPOに勤めかずかずの「市民・企業・行政の協働事業」に関わる。2005年には「愛・地球博」におけるEXPOエコマネー事業の事務局長となる。
この3つのキャリア(トリプルキャリアと呼ぶ)の中で培ってきた学習方法、会議の仕方、人間関係形成術、問題解決の手法について、独自のノウハウを確立し、2006年4月「会議ファシリテーター普及協会(MFA)」を立ち上げ、講座、研修などを主催。講座は独自の技法で「わかりやすく、楽しく、実践的」と大変好評を得て年間100本近くの講演・セミナー・研修の実績がある。

著書

  • 「もっとすごい!非常識な会議」ソフトバンククリエイティブ
  • 「会議ファシリテーションの基本がイチから身に付く本」すばる舎
  • 「うちとけの法則」すばる舎リンケージ
  • 「誰でもスイスイ60分以上講演できるコツ」すばる舎リンケージ
  • 「人生の壁?楽しんでいたら超えていた!」ごま書房新書
釘山健一

あこがれの志賀内さん~「平凡以上逆境未満の人生」の自由人~

私は、自分の人生「平凡以上逆境未満の人生」にまあまあ満足している。
まあまあってのがミソ・・。

その私があこがれているのが「志賀内さん」。
志賀内さんの人生も「平凡以上逆境未満の人生」の分類に入ると思う。
間違いなく「平凡」ではない。
逆境かどうかは本人のとらえ方によるので何とも言えないが、かなりいろいろあったのは間違いない。
・・そもそもあまり健康体ではないし。

始めて会ったころは「しがないサラリーマン」を自称していた。
この自称がめちゃ気に入った。
「しがないサラリーマン」といいながら、仕事以外でいろんなことをやっていて「しがないサラリーマン」というのはあきらかに「嘘」だった(笑)
私には「楽しいサラリーマン」に見えた。
サラリーマンでもこんなに自由に生きていけるんだ~と思った。
その頃から、すでに志賀内さんは私にとってあこがれの存在だった。

他から見ると、自由に生きている「あこがれの人生」を歩んでいるのに、志賀内さん自身はいろいろ悩むこともあるようだ。
そこが、めちゃくちゃ人間臭くてたまらない魅力だ。

志賀内さんは裏も表もない「いい人」。
なのに、今でも「いい人になろう」と努力している。
しかも、かなり真面目に「いい人になろう」としている。
・・すでに十分にいい人なのに(笑)

私は「作家」の志賀内さんにあこがれる。
いいなあと思う。
毎年本を出せるって本当にうらやましい。
私も6冊だしているが全部「ビジネス書」だ。
志賀内さんは「小説家」だ。
小説を書いている!
そこがとてつもなく、うらやましい。
私と次元が違うと感じる。

私があこがれる志賀内さんのもう一つの側面が「人脈の達人」ということ。
これがすごい。
志賀内さんの人脈には誰もが目をみはる。
このすごい人脈が自然にできたのではなく、志賀内さん流の人脈を広げる「やり方&気配り」のたまもので出来上がったことがすごい。

もちろん、志賀内さんの人柄に人が集まっているのは当然だ。
しかし、その「人柄」だけでなく、志賀内さんの地道な努力、行動がいまの人脈を創り上げたと思う。そういうところが、本当に素晴らしく、あこがれてしまう。

私が最初の本を出版できたのも志賀内さんのおかげ。
私が書いた「会議のレポートA4で43頁」のものを、志賀内さんが喫茶店で読んでくれて、すぐその場から出版社に電話して、編集者につないでくれた。
その行動力のすごさ、早さにびっくりしたものだ。

志賀内さんが編集者に電話してくれた約1週間後に、編集者と東京駅の「銀の鈴」で待ち合わせ。そのまま、地下街の喫茶店で昼の1時から夜の9時くらいまで話した。

その間、本の話はほとんどなし。
世間話みたいな、身内の話みたいなことばかり話して8時間(笑)

出版の話はまるで出ないまま夜の9時くらいになった。「本の出版はだめだろうなあ」と思っていたが、帰りの新幹線もなくなってきて帰らないといけなくなってきたため、勇気をだして「やっぱり出版は無理ですよね?」と聞いてみた。

そうしたら・・・
編集者の人が「本にしますよ」とあっけらかんと言った。
え~~、出版してくれるんだ~、とビックりした。

この強烈な人生で最大級のサプライズを味わうことができたのも、志賀内さんのおかげだった。

私はこれからも、「平凡以上逆境未満の人生」の自由人の志賀内さんを目指して、やっていきたいと思っている。