ギュッと手を握り合って
日本講演新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第二十回 「ギュッと手を握り合って」
水谷もりひと
私は日本講演新聞という、講演会ばかりを取材してその中身を紹介するミニコミ紙を週刊で発行しています。
またこの新聞の読者には学校の先生が結構多くて、教育の現場で活用してもらっています。また、読者同士のオンラインサロンでも心温まる情報交換をやっています。
先日は神戸市内の中高一貫校の教師をしている宇治孝夫さんがこんな投稿をしていました。
宇治先生は6年前、中学1年のクラスを受け持ち、そのまま6年間持ちあがりでそのクラスの担任をしました。6年間、多感な思春期の生徒たちと一緒に過ごしたのですから、卒業式を迎える生徒たちへの思いは一入(ひとしお)ですよね。
卒業式が終わると、卒業生はクラスに戻って最後のホームルームをします。宇治先生は、保護者が見守る中、ありったけの思いのこもったホームルームの時間を持ちたいと考えていました。
ところがコロナの影響で保護者を教室に入れてはいけないことになったのです。これでは考えていたことができません。一生後悔すると思った宇治先生は、学校に無理を言って、何とか宇治先生のクラスだけ広い講堂でホームルームをさせてもえることになりました。
宇治先生は前もって講堂に椅子を二脚ずつくっつけて置き、保護者にはそこに集まってもらっていました。そして片方の椅子に座って生徒が来るのを待ってもらいました。そこに宇治先生が生徒たちを連れて入ってきました。
「あれ、お母さん、なんでここにおるん?」
戸惑う生徒たちを親の真横の席に座らせ、最後のホームルームが始まりました。
まず宇治先生はこう言いました。「親子で手を繋いでください。そして目を閉じてください」
恥ずかしがる生徒たち、戸惑う保護者、仕方なくみんな手を繋ぎました。
みんなが手をつないでいるのを確認し、宇治先生は言いました。
「お父さん、お母さん。久しぶりに繋いだ御子息の手はどうですか? 最後に繋いだあの日からこんなにも大きく、立派に成長されましたよ…(後略)」
宇治先生の言葉を聞きながら保護者の脳裏にわが子が生まれた日のこと、つかまり立ちした幼少期のこと、小学校の入学式の日のこと、反抗期に入った中学時代のことが走馬灯のように甦ったことでしょう。皆さん、目がウルウルしていました。
しばらくして今度は生徒に語り掛けました。
「4組のみんな、久しぶりに握ったお母さん、お父さんの手はどうですか? 君達は覚えていないかもしれないけれど、君たちが最初に触ったその手は、昔はもっと柔らかい手でした。それから十八年、毎日毎日君たちのためにご飯を作り、洗濯や掃除をし、来る日も来る日も君たちのためにその手を使ってきた。その手はそういう手なんです」
「もしかしたらお母さんやお父さんの言葉に傷ついた日もあったかもしれません。『いちいち言わんでも分かっとるわ』とイライラしたこともあったかもしれません。でもね、そのお母さん、お父さんの言葉がどんなものであれ、思いはたった一つだけだったんだよ。それは『君のことが大切だ』ということ。本当に大好きだから言いたくないことも心を鬼にして、嫌がられるのを分かって君に言葉をかけてきたんだよ」
そう言って、今日までのお互いへの感謝の気持ちを込めてギュッと手を握り合ってもらってから目を開けてもらいました。
宇治先生の言葉が続きます。
「久しぶり握った手はどうでしたか。先生は2年前、母を亡くしました。生前最後に手を繋いだのはいつだったか…覚えいていません。高校生の時は…繋いでないし、中学生の時も…繋いでいないかもしれん。最後に繋いだ時にはね…その手がもう冷たくなってからだったんです」
「先生が最後のホームルームで伝えたかったこと。それは人を大切にするということです(中略)。でもね、人は身近な人ほど大切にできなかったりするんです。『どうせこの先も会える』って。でもね、本当に大切にして感謝を伝えないといけないのはそんな身近な人じゃないですか? 伝えられる時にちゃんと素直な気持ちを伝えられる人であってくださいね」
このホームルームは生徒たちにとって人生最後のホームルームですよね。それが最高のホームルームになるなんて、宇治先生、サイコーです。
いつもホームルームが終わると「皆さんさようなら」という挨拶で締めるのですが、最後のホームルームは「ありがとうございました」で締めたそうです。