何でもないことも面白がってみよう

日本講演新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第十八回                                                   「何でもないことも面白がってみよう」
水谷もりひと

昨今の流行り病で不要不急の外出の自粛が全国民に要請されました。マスコミの報道はこの流行り病が如何に恐ろしいウイルスであるか、そしてこの社会の未来はどうなるか。連日その話題一色でした。
そんな中、僕は子どもの頃、台風が来て、遊びに行けない日のことを思い出していました。外は激しい雨風というのに、雨戸を締め切った家の中では買い込んだお菓子を食べ、ゲームやトランプなどをして、たっぷりある時間を家族と楽しく過ごしていたのです。
昨今の「おうち時間」もそれと同じやなぁと思います。世の中が大変な状況でも、多くの人が家の中でこっそりと楽しみを見つけて、それを面白がり、それをネットで配信していました。
「面白がる」という日本語は不思議な言葉です。「面白い」の反対は「面白くない」ですが、「面白がる」は、その面白くないようなことでも「面白い」に転化してしまいます。ただこれは、そういうセンスを持った人しかできません。
大阪の人がそのセンスに長けているのはご承知の通りです。僕は昨年1年間、大阪に事務所を構えて、大阪を拠点に活動していました。
ある日、関西空港から南海電鉄で「なんば」に向かう日のことです。特急「ラピート」の発車時刻が迫っていました。たとえば東京駅では発車時刻が迫っている新幹線の切符は売ってくれません。ところが南海電鉄の窓口でこう言われたんです。「あと2分で発車します。走れば乗れますが走りはりますか?」
「はい」と言ったので発券してもらいました。歩いていたら間に合わなかった距離でしたが、走ったので乗れました。
「走りはりますか?」と真顔で言う駅員さんの大阪気質に笑ってしまいました。
そう言えば、随分古い映画ですが、勝新太郎主演の『悪名(あくみょう)』という映画に面白いシーンがあります。
やくざもんの勝さんと、敵対するチンピラ田宮二郎さんの喧嘩のシーンです。二人が激しく殴り合っていると、長屋の玄関が壊れるんです。そしたらその家のおっさんが出てきて、「こらぁ、弁償せい!」って言うんです。普通の映画では、主演の二人が殴り合っているシーンに第三者のおっさんは割り込んできません。だけど、そこは大阪です。
田宮さんが『なんぼや?』と言います。当時の相場なのでしょう、おっさんが、「五十円や」と言います。そしたら田宮さんが『なんでこれが五十円なんや。二十円にしとけ」と値切るんです。その間、喧嘩相手の勝さんは休憩しています。結局三十円に落ち着くのですが、後で勝さんが「あれ、五十円はないわな」と耳打ちして、二人は仲良しになるんです。大阪では怖いやくざの喧嘩も面白がって見ることができるんですね。
銀行強盗も面白がることができます。『黄金を抱いて翔べ』は大阪を舞台にした映画です。主人公の二人が銀行強盗の下見に行きます。一人が「この地下に二百四十億の金塊が眠っているんだ」と話していたら、後ろから「ホンマ?」っておばちゃんが入ってくるんです。決してコミカルな映画ではありません。
真面目なことをクソ真面目にやっても人は幸せにならないのかもしれません。
栃木県の西明寺というお寺には「笑い閻魔」がいます。あの怖い顔の閻魔様が笑っているのです。なぜか。
極楽は一度も嘘をついたことがない真面目に生きた人だけが行けるところです。
ある日、一人の男が閻魔様の前で「私は真面目に生きてきました。一度も嘘をついたことがありません」と訴えました。「だから極楽に行く資格がある」というのです。
そしたら閻魔様が笑い出したのです。男はむっとします。「私は真面目に生きてきたのです。何がおかしいのですか?」と。大王は笑い転げながら言います。「おまえ、それじゃつまんない人生だっただろう?」と。
私たちは目標に向かって頑張っています。成功者になりたいとか、勝ち負けが気になったりします。大事なことは、今目の前の現実を面白がることやと思うのです。面白いことって本筋ではなく、わき道に逸れたところにあったります。日々の暮らしの中で「面白がる癖」をつけましょう。