その人の「日常」が出る

みやざき中央新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第十五回

「その人の「日常」が出る」

水谷もりひと

ホテルには五つ星の高級ホテルから駅前のカプセルホテルまでいろいろありますが、宿泊料の高い安いに関係なく、窓から見える景観の良い悪いに関係なく、朝食付きかどうかも関係なく、これだけは共通して持っていなければならないサービスが一つだけあります。それは「安眠」です。
今のご時世、多少のコストカットは仕方がありませんが、ホテルである以上、どんなサービスをカットしても「安眠」だけは保証しなければなりません。
しかし、この前聞いた話は、「安眠」をお客から奪ったホテルの話でした。
私は大阪で月一回開催されているあるセミナーに参加しています。そのため、毎月通わなければならないのですが、その講師の先生も毎回東京から泊りで大阪に通っています。
何回目かのセミナーの時でした。先生は開口一番、こう言ったのです。
「いやぁ今朝は大変だった。ほとんど寝てないんですよ」って。
こんなことがあったそうです。そこはオープンからまだ数か月しか経っていない新しいホテルで、その十七階に先生は寝ていたそうです。
深夜3時頃、突然、「火災発生、火災発生、速やかに非常階段から避難してください」というけたたましい館内アナウンスが流れました。
先生はびっくりして飛び起き、寝間着姿のまま非常階段を降りました。一階のフロントに行くとたくさんの人がいて、みんなフロントに詰め寄っていました。耳を澄ませていたら、フロントの若い女性が「すみません。誤作動です。お部屋にお帰りになって大丈夫です」というような説明をしていました。そしてみんな部屋に戻っていきました。
ところが、部屋に戻っても「火災発生、火災発生・・・」というけたたましい放送がずっと流れていて眠れません。
先生はフロントに「止めてください。うるさくて眠れません」と電話を掛けました。
するとフロントの女性は「すみません。止め方が分からないんです」と、泣きそうな声で言ったのです。
仕方がないので電話を切ってベッドにもぐりこんだのですが、うるさくて眠れません。その放送が止まったのは午前5時頃でした。
先生もかなりストレスがピークに達していて、「もしチェックアウトするとき、普通に『ありがとうございました。またお越しください』という挨拶だったら許さない」と思い、短い眠りにつきました。
さて、いよいよチェックアウトです。先生がカギを渡すと、フロントの女性はこう言ったのです。「ありがとうございました。またお越しください」
さすがにカチンと来て、「支配人を出せ!」とか「どうなっているんだ、このホテルは!」と言おうとしたのですが、口からは全く違う言葉が出てきました。
「君、今朝は大変だったね」「はい。申し訳ありませんでした」
「君、寝てないんじゃない?」「はい」
「君一人で対応したの?」「はい」
「たくさんクレームが来たでしょ?」「はい」
「つらかったね。でも、こんなことで仕事を辞めるんじゃないよ。頑張れよ」、こう言ってチェックアウトしたというのです。
僕は「カッケー」と思いました。
なぜそんな言葉が出てきたのか。それはおそらくその先生の「日常」なのだと思います。普段からその方は相手のことをまず先に考える人なのです。だから咄嗟の時にもその人の「日常」が出るのです。
人間性ってこれだなぁと思いました。大勢の人の前で話す人や本を出している人は周りから立派な人に見えるものですが、人間性が出てくるのは咄嗟の時です。自分が不快な状況に立たされた時です。私も気を付けようと思いました。