国語の教科書は捨ててはいけません

みやざき中央新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第八回
                                                  
              「国語の教科書は捨ててはいけません」
                                 水谷もりひと

 杉山竜丸さんは戦後、千葉市の「引き揚げ援護局」で働いていました。杉山さんが
二十六、七歳の頃の話です。
 そこは海外から帰国する人たちを手助けする部署でした。戦前に海外に渡り、敗戦
と同時に帰国をやむなくされた人たちを支援するところです。 
 帰国者の中には戦地に招集された人たちも数多く含まれていました。杉山さんの担
当はその復員兵のお世話をする仕事でした。そこには生きて帰国できた人の名簿もあ
れば戦死した人の名簿もありました。
 時々、杉山さんがいた部局に出征した息子や夫の安否を尋ねてくる人がいました。
 ある日、白いパナマ帽子を被った中年の紳士がやってきました。ここにやってくる
客はほとんど痩せ衰え、みすぼらしい服装の人が多かったので、その立派なスーツを
着た紳士はとても印象に残っていたと杉山さんは回想します。
 対応したのは同僚でした。パナマ帽子の男は、ニューギニアに派遣された息子さん
の安否を知りたくて訪ねてきたのでした。
 同僚はしばし帳簿をめくっていましたが、ふと手を止めて「あなたの息子さんは
ニューギニアのホーランジャという街で戦死されております」と答えました。
 それを聞いて男性は何も言わず帰られました。
 しばらくしてお手洗いに行こうと部局を出た杉山さんは、階段の踊り場の隅の暗が
りのところで、先ほどの男性が白いパナマ帽子を顔に当てて壁板にもたれるように
立っているのを見つけました。
 気分が悪いのではないかと思い、声をかけようとした杉山さんでしたが、その人の
肩がぶるぶる震え、足元にしたたり落ちた水たまりがあるのに気づき、はっとしまし
た。肩の震えは泣き声を必死に押し殺しているものだったのです。
 その次の日、杉山さんのところに、机から頭がかすかに見えるくらいの女の子が
やってきて、こう言いました。
 「あたし、小学2年生なの。お父ちゃんはフィリピンに行ったの。名前は○○な
の。おじいちゃんとおばあちゃんがいるけど、病気してて来れないの。それであたし
にこの手紙を持って、お父ちゃんのことをきいておいでと言うので、あたし、来た
の」
 少女が差し出したハガキを見ると、父親の派遣先が書かれてありました。杉山さん
は帳簿をめくって、その名前を見つけました。「ルソン島バギオで戦死」と書かれて
いました。
 「あなたのお父さんは…」と、ここまで言って声が詰まりました。おかっぱ頭の、
痩せて、真っ黒な顔の少女の目は、杉山さんの口元を真剣に見つめていました。杉山
さんの次の言葉を待っている目でした。 「戦死しておられます」と杉山さんは言葉
を絞り出しました。
 少女は毅然としていました。いや、その眼には涙が溢れていたのに、少女は血が出
るのではないかと思われほど力いっぱい下唇を噛んでいました。
 杉山さんは、少女が持ってきた紙に、戦死した場所と状況を書こうとしましたが、
ぽたぽたと涙が紙の上に落ちるのを止めることができませんした。
 ようやく書き終えた杉山さんに少女はこう言いました。
 「妹が二人いるの。お母さんも死んだの。だからあたしがしっかりしなくてはなら
ないんだって。泣いてはいけないんだって」
 杉山さんは思いました。「命だけじゃない。戦争はそれ以上のものを奪った。大き
な大きな何かを奪った」
 この話は、息子の中学時代の国語の教科書に出ていたものです。資源ごみとして紐
でくくろうとしていたとき、ちょっとパラパラとめくっていたら、涙が止まらなく
なったのです。
 子どもの頃、国語の教科書なんて面白いを思ったことは一度もありませんでした。
こんな宝石のような文章がたくさんあったなんて知りませんでした。
 国語の教科書は捨ててはいけません。子どもが卒業した後、こっそり読みふけって
みませんか? 

プロフィール
みやざき中央新聞 魂の編集長
学生時代に東京都内の大学生と『国際文化新聞』を創刊し、初代編集長となる。
平成元年にUターン。宮崎中央新聞社に入社し、平成4年に経営者から譲り受け、編集長となる。
24年間社説を書き続け、現在も魂の編集長として、心を揺さぶる社説を発信中。

◇これまでの活動
平成11年 MRTラジオ暮らしのレーダーで、「男性学講座」を担当
平成12年・13年 MRTラジオで「みやざきトゥデイ」を担当
平成13年・14年 サンシャインFMで「時代を語る」を担当
平成16年 宮崎県男女共同参画推進功労賞受賞
平成19年~20年 宮崎市男女共同参画審議会委員
平成18年~23年 宮崎家庭裁判所参与員
平成25年 社長と共にコンゴ民主共和国に渡り、現地視察と読者会開催
平成26年 宮崎県日向市ドリームプランプレゼンテーション出場 感動大賞・共感大賞 W受賞

◇現在の活動分野
働く人の心のケアをする厚労省認定産業カウンセラー

◇趣味
育児、家事手伝い
平成21年 宮崎に開校した俳優養成所に入所し、いろいろなCMに出演

◇著書
『空から宮崎を見れば』(宮崎中央新聞社)
『みやざき発夢未来』(鉱脈社)
『男と女の夢未来』(鉱脈社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説』(ごま書房新社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説2』(ごま書房新社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説ベストセレクション(講演DVD付)』(ごま書房新社)
『この本読んで元気にならん人はおらんやろ』(ごま書房新社)