色を愛し、色を楽しみましょう

みやざき中央新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第五回

「色を愛し、色を楽しみましょう」
水谷もりひと

日本人はこよなく「色」を愛した民族だと言われています。奈良時代から平安、鎌
倉、室町、安土桃山、江戸時代を経て、明治、大正と近代史に至るまで、いつの時代
にも権力闘争はありましたが、その一方で実に素晴らしい文化が生まれていました。
絵画はもちろん着物、屏風絵、陶磁器、扇子、寺院などいつもそこにはカラフルな
「色」がありました。
もちろん諸外国にも古くから色鮮やかな美術品はありますが、どこよりも日本人が
色を愛していた証拠は色一つ一つに名前をつけていたということです。
たとえば、赤系だけでも八十一種類の色があります。皆さんは梅鼠色(うめねずい
ろ)、臙脂色(えんじいろ)、蘇芳色(すおういろ)、猩猩緋(しょうじょうひ)葡
萄色(えびいろ)、檜皮色(ひわだいろ)と聞いて、どんな赤色か想像できますか?
青系にも千種色(ちぐさいろ)、納戸色(なんどいろ)、露草色(つゆくさい
ろ)、瓶覗(かめのぞき)など、五十五種類の色があるそうです。茶系は六十六種
類、緑系は六十三種類、黄系は四十九種類、紫系は四十八種類、黒白系は三十九種類
もの色があるわけです。
確かに、色は無限にありそうですが、この四百種類もの色すべてに名前が付いてい
るというだけで、日本人の色に対する愛情の深さ、日本人の美意識の高さを窺い知る
ことができますよね。
ところが、二千年以上もの間、色を愛した歴史を持つ日本人ですが、ただ近代史の
中で一時期、日本中から色が奪われた時代がありました。そうです、戦争の時代で
す。あのとき、日本中がドブネズミ色一色になりました。
ある時、学徒動員させられた女学生たちがいました。彼女たちは日の丸の鉢巻きを
し、上はセーラー服で、下はモンペでした。一人の女学生が軍人の目に留まりまし
た。その女学生のセーラー服からちょっとだけ色のついた肌着がはみ出ていたので
す。母親が残り毛糸を集めて編んだものでした。赤や青などいろんな色が混じってい
ました。
「そんな軟弱な格好をしているとはけしからん」と、その場で肌着を脱がされ、ハ
サミで切り裂かれました。そして女学生はボロボロになるまで殴られたのです。一週
間後、その子は亡くなったそうです。
その場に一人の少年がいました。少年は思いました。「あの子が一体何をしたとい
うのか。母親が愛情込めて編んでくれた毛糸の肌着を着、それがセーラー服からち
らっとはみ出ていただけじゃないか」、少年は悔しくて悔しくて仕方がなかったので
した。
戦後、少年は色を葬った時代に復讐するかのように、派手な色の服を身にまといま
した。当時は『リンゴの唄』などの歌謡曲が戦争で傷ついた日本人を元気づけていた
時代でしたが、そんな時代に彼はきらびやかなファッションでフランスのシャンソン
を歌ったのです。
今年八十一歳になるシャンソン歌手・美輪明宏さんがまだ17歳の時の話です。昭和
32年、22歳の時に歌った『メケメケ』が大ヒットし、メジャーデビューを果たしまし
た。
ところがその後、美輪さんは少年時代の体験、戦争の悲惨さ、戦後復興の陰にある
差別、世の中の不条理を訴える歌を自ら作詞作曲して歌うようになり、それが反社会
的という理由で芸能界から追放されます。
特に小学校時代、建設現場で働く友だちの母親の姿が忘れられず、それを歌にした
『ヨイトマケの唄』(1965年)は「貧しい人を差別する歌だ」と知識人たちから
難癖をつけられ、テレビ局はこの歌を放送禁止歌にしました。
ところが、「あの歌を聴いて泣きました」「感動しました」という手紙が美輪さん
の事務所やテレビ局に殺到するようになりました。その数2万通を超えたそうです。
その多くが土木現場で働く女性や、そういう母親を恥ずかしいと思っていた娘たちか
らでした。
「娘は私がそういうところで働いているのを嫌っていたので、娘が学校帰りに現場
の近くを通ると私は物陰に隠れていました。でもあの歌を聴いた娘が私のところに来
て、『母ちゃん、ごめん。これからは学校の帰りであろうと、友達の前であろうと、
どんどん仕事をしてちょうだい。私はもう恥ずかしいとは思わないから』と言ってわ
んわん泣いたのです」、そんな感謝の手紙で美輪さんの小さな部屋はいっぱいになり
ました。
美輪さんはNHKのテレビ番組でこんなことを言ってました。「50代の男性に自殺
が多いのはあの世代に文化がないからです。『冬のソナタ』があれだけヒットしたの
は、ペ・ヨンジュンさんのセリフにある優しさと思いやりだと思います。思いやりは
どこから生まれるか。それは想像力です。想像力はどうしたら育つか。詩や俳句や文
学、そういう文化に親しむことです」と。
ちなみに、『ヨイトマケの唄』はいろんな人がカバーして歌われるようになりまし
たが、NHKが正式に美輪さんに出演依頼してテレビで歌ったのは2012年の「紅
白」です。美輪さん七十七歳にして紅白初出場でした。

プロフィール
みやざき中央新聞 魂の編集長
学生時代に東京都内の大学生と『国際文化新聞』を創刊し、初代編集長となる。
平成元年にUターン。宮崎中央新聞社に入社し、平成4年に経営者から譲り受け、編集長となる。
24年間社説を書き続け、現在も魂の編集長として、心を揺さぶる社説を発信中。

◇これまでの活動
平成11年 MRTラジオ暮らしのレーダーで、「男性学講座」を担当
平成12年・13年 MRTラジオで「みやざきトゥデイ」を担当
平成13年・14年 サンシャインFMで「時代を語る」を担当
平成16年 宮崎県男女共同参画推進功労賞受賞
平成19年~20年 宮崎市男女共同参画審議会委員
平成18年~23年 宮崎家庭裁判所参与員
平成25年 社長と共にコンゴ民主共和国に渡り、現地視察と読者会開催
平成26年 宮崎県日向市ドリームプランプレゼンテーション出場 感動大賞・共感大賞 W受賞

◇現在の活動分野
働く人の心のケアをする厚労省認定産業カウンセラー

◇趣味
育児、家事手伝い
平成21年 宮崎に開校した俳優養成所に入所し、いろいろなCMに出演

◇著書
『空から宮崎を見れば』(宮崎中央新聞社)
『みやざき発夢未来』(鉱脈社)
『男と女の夢未来』(鉱脈社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説』(ごま書房新社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説2』(ごま書房新社)
『日本一心を揺るがす新聞の社説ベストセレクション(講演DVD付)』(ごま書房新社)
『この本読んで元気にならん人はおらんやろ』(ごま書房新社)