第37回「親の愛は必ず届く」

熱血先生 今日も走る!!!
「子は宝です」 第37回

「親の愛は必ず届く」
中野 敏治

彼は中学1年生の頃から問題行動を起こしていました。2年生になりその問題行動はさらにエスカレートしてきました。他校生との関わりも多くなり、さらには上級生とも喧嘩をすることがありました。登校する時間もどんどん遅くなり、給食の始まるころに来ることが多くなりました。給食を食べ終えると、仲間に声をかけ、一緒に学校を抜け出し、他校へ行くなど、身勝手な行動が続きました。
学級担任も学年職員も指導を続けました。母親とも相談を繰り返しましたが、母親はどうしたらよいのかわからず、「自分の子育てが間違えてしまったから、こんな子に育ってしまったのでしょうね。申し訳ありません」と、自分を責めるばかりでした。
父親は彼が幼い頃、病気で亡くなり、母親と二人で暮していました。彼には父親の記憶はあまりないようでした。
3年生の2学期になり、学年の雰囲気も進路へ向けて動き出しました。彼らは、その雰囲気に押しつぶされそうで、さらに問題行動をエスカレートしていきました。
そんな中、彼の行動に変化が見られたのです。仲間と一緒に行動することが減ってきたのです。授業を抜け出すことや遅刻をすること、欠席することは続きましたが、ほとんど単独での行動となったのです。
第2回の進路希望のプリントが配られました。1学期末の第1回進路希望調査では、彼は用紙をくちゃくちゃにして提出しました。そこには、「かんけーね」となぐり書きされていました。でも第2回の進路希望調査には、「高校に行きたい」と書いてあったのです。
その頃から、母親はよく学校に来て、彼の問題行動についてだけではなく、彼の将来について担任と相談をしていたのです。母親は息子に分からないように学校へ来ていたようでしたが、彼はその母親の姿を時々見ていたのです。
それぞれの生徒の進路先が具体的になってきました。進路面接の練習も始まりました。彼の面接練習を引き受けました。彼は徐々に生活リズムも整い出していました。でも、彼には面接練習の日にちを決めても、その日に登校するかは、まだわからない状態でした。
彼が校舎内を一人で歩いている時です。「進路面接の練習をしようか」と彼に声をかければ拒否すると思い、「たまには二人でちょっと話をするか?」と声をかけました。彼は素直に「うん」と返事をして相談室についてきたのです。きっと普段の生活について話をされると思ったのでしょう。彼は足を投げ出しソファーに座りました。「最近はどうだ?」と尋ねましたが、彼は答えませんでした。答えようのない質問をしたからです。でも彼から何か話題を振って欲しかったのです。「そうだな、最近は誰と仲良くしているんだ?」と質問を変えました。彼はやっぱり叱られると思ったのでしょう。答えようとはしませんでした。具体的に話しかけました。「いつも一緒にいた◯君とはどうなんだ?最近あまり一緒にいるところを見ないけど」と。彼は顔を上げて話し出しました。「校長先生、最近、俺、あいつらと一緒にいることに疲れてきた。一晩中起きていて、一睡もしないで学校にくる日は、テンションが高くなって、俺、暴れたけど、それもつまらなくなってきた」と言うのです。それで彼は仲間と一緒にいて叱られるならと思い、学校を休んだりすることが多くなったと言うのです。サボりではなく彼なりの理由で学校を休んでいたのです。
彼と進路面接の練習をする約束をしました。面接練習の日、面接会場への入り方、礼の仕方などを彼に伝えたあと、進路面接とは違う話をしました。「将来はどんな大人になりたいんだ?」と。彼はしっかりとした口調で答えました。「俺は、大人になって、結婚して、子どもができたら、タバコを吸うことは許すかもしれないけれど、毎日俺と話す時間は守らせる」と言うのです。不思議に思いました。「タバコも吸わせるなよ、でも、どうして自分と話す時間を毎日作りたいんだ」と。彼は一瞬無言になりましたが、その後ポツリポツリと話し始めました。「だって、俺はおやじのことを覚えていないし、おやじと話をしたかった」と。
ずっと寂しい思いをしてきた彼の心の中を見たようでした。「そうなんだな。おかあさん孝行をしっかりするんだぞ」と声をかけると、彼は何かを思い出すように黙ってしまったのです。「校長先生、俺、今思い出したことがあるんだけど」と、またポツリポツリと話し始めたのです。それは暴れている時の彼の顔とは全く違っていました。それどころか目にうっすらと涙を溜めているようにさえ思えました。「校長先生、俺、保育園の時のことを思いだした。あの頃、お昼寝の時間があって、俺はなかなか寝付かなくて、その頃から先生に叱られていたよ。そういえば、お昼寝用の布団は、おふくろが大きなカバンに入れて自転車で保育園に持ってきてくれていたんだよ。1週間に一回家でその布団を干してね。布団を入れる大きな布のカバンもおふくろは自分で作ったんだろうな。よく自転車で保育園まで持ってきたよな」と。
やんちゃであるというレッテルの裏には彼の心の寂しさがあったのです。そして、母親が必死で子育てをしてきた姿は彼の心の中にしっかりと焼き付いていたのです。
彼は第一希望の高校には合格をしませんでしたが、第二希望の高校に合格しました。入学後、親孝行をしたいと彼はいくつかの資格を取り始めました。
(子は宝です)
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