第33回「たった一人の卒業式」

熱血先生 今日も走る!!!
「子は宝です」 第33回

「たった一人の卒業式」
中 野  敏 治

春は出会いと別れの季節、学校では三月に卒業式が行われ、三年間、同じ学校で過ごした生徒たちが巣立つ時を迎えます。

長い間、学校に登校できなかった生徒がいました。担任はなんども家庭訪問を繰り返してきました。なんとか卒業遠足に参加できないか、クラスのみんなが揃う最後の日である卒業式には来て欲しいと願いながら、家庭を訪ね続けました。
しかし、卒業式が近づいてきたある日、「卒業式に参加できそうにない」と保護者から担任に連絡が入りました。みんなと一緒に体育館のステージで卒業証書を受け取れそうにないと言うのです。
学年主任と一緒に担任が真剣な顔をして「午後からでしたら学校にくることができると思います。午後に卒業式をさせてほしい」と私のところに伝えにきました。担任の言葉からは、みんなと同じ日にその生徒にも卒業式を行いたいという思いが強く伝わってきました。午前中の卒業式が終えた日の午後から、もう一度、卒業式をすることを決めました。全職員に伝えると担任の思いが伝わったかのように、みんな笑顔で自然と拍手がおきました。
卒業式当日です。全職員は午前中の卒業式を終えると、卒業式の余韻を味わいながらも、すぐに午後の卒業式の準備を始めました。
会場は体育館ではなく会議室で行うこととしました。しかし、準備は午前中に体育館で行った卒業式の紅白幕を持ってきて、会議室の壁につけました。花も卒業式で使った花、校旗も体育館からそのまま持ってきました。演台の前には、椅子を二つ縦に並べました。前にある椅子は生徒用の椅子、後ろの椅子は保護者用の椅子です。会議室の窓側には、校長、教頭、教務主任の椅子。廊下側には三年担当の職員の椅子が並べられ、会場準備はできました。音楽も流したいと言う職員。CDプレーヤーで音楽を流すのかと思っていたら、校内放送で校舎全体に流すと言うのです。

午後二時、母親と一緒に生徒がやってきました。校長室で私から卒業証書を受け取るだけだと思っていた様子でした。担任が会場(会議室)へ生徒と保護者を案内しました。会場に用意された席には三年担当の職員がすでに座っていました。式次第も来賓の挨拶以外は午前中の卒業式と同じに行いました。
式が始まるとすぐに泣き出した生徒と母親。予想もしていなかった式場の雰囲気に驚いたようでした。
校長の話では、この生徒用に考えた話をしました。「心の底で力をためる、そしてかなえる君の人生」というフレーズが入っているシーモという方が歌っているコンティニューという曲の詩も伝えました。そしてこのコンティニューの詩を手書きし、額に入れて本人に渡しました。校歌も会場にいる先生方と一緒に歌いました。式の中では、午前中の卒業式と同じように音楽も校舎全体に流しました。司会が進行するタイミングに合わせて音楽が流れたのです。
式が終わってから知ったのですが、会議室の廊下に一人の職員がいて、放送室にいる職員と電話をつなぎ、司会の言葉を聞きながら、音楽を流すタイミングを連絡していたのです。そこまで考えて校舎全体に音楽を流し、この学校からこの生徒を卒業させたいという思いが職員にはあったのです。
閉会の言葉を教頭が宣言し、式が終わりました。司会をしていた教務主任が「卒業生退場」と伝えると、退場の音楽とともに会議室を出ようと生徒と母親がドアを開けた瞬間、廊下には全職員がいたのです。
全職員からの「卒業おめでとう」という言葉と拍手の中を号泣しながら生徒と母親は歩いていきました。

生徒と母親は、昇降口からグラウンドに出て行きました。二階の校長室からはグラウンドにいる二人の姿を見ることができました。
親子二人が校舎を見上げている時です。校舎の二階から、シャボン玉が飛んだのです。午前中の卒業式でも卒業生が昇降口を出る時に飛ばしたシャボン玉です。ここまで職員は準備をしていたのです。できるだけみんなと同じに卒業式を行なってあげたいという職員の気持ちがすべての行動に繋がっていったのです。
たくさんのシャボン玉が親子の上に飛んでいきました。青空に舞っているシャボン玉を親子で見上げる姿。二人の顔は涙でぐしゃぐしゃでした。

学校にくることができていなくても、この学校の思い出を作って欲しい。そんな思いが先生方には、あったように感じました。
生徒を見つめながら、心の中で叫びました。「頑張れ!人生はこれからだ」と。その瞬間、生徒はこちらを見た気がしました。
私の教員としての仕事がひとつ終えた気がしました。
(子も教員も私にとって宝物です)