花咲か先生の学級日誌(第1話)「しくじり掃除日記」(前編)
「しくじり掃除日記」(前編)
・・・どうしたら子供たちが掃除をするようになるのか?
掃除をしてくれない子どもたち
私の教員生活がスタートしたのは、今から三十八年前、山間の小さな小学校でした。
はじめて教室に入ると、十四人…二十八の瞳が私の方をじっと、にこやかに見つめていたことが今でも思い出されます。
学校の近くの山に落ちている栗の実を拾ったり、雪投げ合戦をしたり、素直な子どもたちと楽しくのんびりとした日々を過ごしました。
しかし、子どもたちの指導でわからないこともいっぱいありました。特に、掃除の指導が上手くいきませんでした。
今でも覚えていることがあります。教室で掃除をしていた時のこと。男の子が遊んで掃除をしていません。
「おい、掃除をしようで」と声をかけました。すると、その子は掃除をするどころか、プイと横を向き、遊びを続けます。
新米教師の私は、どうしたらいいのか迷い、その子のところに行き、わざと正面に立って威圧するように「ちゃんと掃除をしないと、アカンだろう」と低い声で、しかもにらみながら言ったのです。
先生から、にらまれると怖いものです。これで掃除をするだろうと思いきや、その子は、私をぐっとにらみ返したのです。たじろいだのは私の方。勝負ありです。その子は、面白くなさそうな顔をして、その場を離れ、別の遊びをし始めました。
周りにいた子どもたちが、様子をうかがっています。抜いた刀を納めるわけにもいかず、さらに強く言いましたが、結局、掃除はしませんでした。
他のクラスの先生のマネをしてみる
「子どもって、素直だと思っていたけれど、案外やっかいだな。叱って駄目なら掃除をさせるには、どうしたらいんだろう」
掃除の終わりのチャイムを聞きながら、その子の後ろ姿を見ていました。
それから、別の学校に転勤しても、掃除中に遊ぶ子どもはいました。「どこの学校でも同じような子はいるもんだな。どうしたものか…」そう思いながらも放っておけません。
遊ぶ子を見つけては掃除をするように話す、注意をする、叱る、といったワンパターンの指導が続きます。
そんなある日、驚いたことがありました。 ある教室では子どもたちが一生懸命に掃除をしています。「どうしたら、こんなに一生懸命に掃除をがんばれるのだろう」と不思議に思って教室中を注意深く見回しました。
理由はすぐにわかりました。その教室の先生の影響です。
その先生は厳しいことで有名で、掃除の時間も手綱を緩めることはありませんでした。
厳しい顔で子どもたちを見ているというよりも見張っています。「あなたの掃き方ではほこりが舞うでしょう。箒の穂先をゆっくり動かすのよ」「汚れは頑固なの。もっと力を入れて拭かないと駄目でしょう」声かけも的確、厳しいです。
「そうか、そうか。こうして指導するんだな。やっぱり子どもは厳しく指導するに限るな」
そう思った私は、次の日から、厳しい顔で指導をすることにしました。子どもの掃除の様子を見て、アドバイス…いや厳しくケチをつけました。そんな私の変化に比例するように私の顔をのぞきながら子どもたちは掃除をするようになりました。
「この方法は効果がある。やっと私も掃除指導ができるようになった」
そうして、次の日も、また、次の日も怖い顔で厳しく掃除をしていました。
ふたたび、掃除の迷路へ
しかし、そんな付け焼き刃のような方法が続くわけもなく、しばらくすると、また、しまりのない自分の顔に戻るのでした。子どもたちの掃除へのケチの言葉も、同じ事しか言えずにマンネリ化していきました。
しっかりとした六年生の子が掃除にきてくれると、私よりも下級生を上手に指導することもありました。教師として恥ずかしい限りですが、教員としての経験を何年積んでも掃除指導はうまくいきませんでした。
私が子どもの頃、先生方はどうやって掃除を指導してくれたのかな…そこで、一つ、思い出したことがあります。
私が小学校の時、東井義雄校長先生が、全校集会で掃除の話をされたことを思い出したのです。
東井義雄先生は、多くの本も書き、数々の賞ももらっておられた希代の教育者でした。その教育を見ようと、毎日のように全国から参観者が集まっていました。
その東井先生は、次のように話されていました。
「掃除の終わった後、掃除道具入れの前を通ると、掃除道具がきちんと片付けられていました。そこを掃除した人の掃除の様子がわかるようでした」
東井先生は決して「掃除をしましょう」とはお話しにならなかったのに、その頃、私たち子どもは一生懸命に掃除をしていました。
「なんでだろう?」
東井先生のお話を思い出しながらも掃除の時間になると、子どもに口やかましく注意したり、時には怖い顔を作ったりする私でした。
そんな時、私にとって忘れられない気づきがありました。
(後編へ続く)