花咲か先生の学級日誌(第1話)「しくじり掃除日記」(後編)


「しくじり掃除日記」(後編)
・・・わたしが間違いに気づくまで


子どもたちへの掃除の指導がうまくできず、ほとほと困っていた私。そんな私にとって、忘れられない気づきがありました。   担任していた男の子が何度注意しても宿題を忘れてきます。ついに私は、その子を厳しく叱りました。
 しかし、結局、翌日も宿題はしてきませんでした。
 注意したり、厳しく叱ることが指導だと思っていた私にとって、それが効果がないとわかると冷静に考えざるをえませんでした。
 すると、一つのことに気づいたのです。それは「誰のために宿題忘れを厳しく叱ったのだろうか」ということです。
 宿題ができないのは原因があるはずです。その原因を取り除けるようにするのが私の仕事のはずです。
 また、原因を取り除くことが難しいのなら、宿題をしなくても、きちんと学力がつく方法を考えるのが私の仕事のはずです。
 それをせずに、ただ叱っている私。
 「ああ、そうか。私は、その子のためを思って叱っていると思っていたが、どうやら違った。『私の指示したことに素直に従っていないこと』に対して叱っていたのだ」と気づいたのです。
 今まで私がしていたこと。子どもに学習を強いてテストで満足する点を取らせる事や絵を描かせて入選させることなども、子どものためだと言いながら、自分の気持ちを満足させるためにしていたことではなかったのだろうか…。どうも、本末転倒の私であることに気づき始めたのです。
 「掃除も同じで、教室を美しくするとか、掃除によって心を磨こうとか言っていたけれど、きちんと掃除をしている子どもの姿を見て満足したかったのではないのだろうか…」
私自身が掃除をがんばれていないじゃないか
 そう気づいたものの、どうしたらいいのかわかりません。
 その答えを探すかのように、本棚の本を読み直しました。すると、東井義雄先生の本がありました。
 その中に一つの詩を見つけたのです。その詩は、私が小学生の時に、東井義雄先生が教えてくださった「小さい勇気をこそ」という詩でした。


 紙くずがおちているのを見つけた時は
 気づかなかったというふりをして
 さっさといっちまえよ
 かぜひきの鼻紙かもしれないよ
 不潔じゃないかと呼びかける
 小さい悪魔を
 すぐやっつけてしまえるくらいの
 小さい勇気こそわたしはほしい


 
 子どもに掃除をするように言っていても、掃除の時間が来ると「掃除かあ、面倒だな」と思ったり、掃除の時間が終わりそうになると「早く終わらないかな」と、チラチラ時計を見たりする私の姿がそこにありました。
 「私自身が掃除をがんばれていないじゃないか。そんな私が子どもにいくら言っても伝わりはしない。掃除は子どもの問題ではなかったんだ。私の問題だったのだ。よし、東井先生の言われるように、掃除に対して小さい勇気をもって向き合ってみよう」
 そこで、掃除開始のチャイムが鳴ったらバケツに水を入れ、一番に掃除場所に行き拭き掃除を始めることにしました。
 床に顔を近づけて拭いていると立っていては見えなかったほこりが見つかります。給食の汁が落ちて黒い染みになっていることも分かりました。
 汚れを取ろうと何回も拭くと頑固な汚れも取れます。きれいになっていくと「もっときれいにしよう」という気持ちになり、さらに力が入ります。一生懸命に掃除をした後は何とも言えない清々しい気持ちになりました。
実は、自分自身の問題だった
 私が一生懸命に掃除をするようになると子どもに対する見方も変わっていきました。
 今までは掃除を怠けている子ばかりが目につきましたが、掃除をがんばっている子が見え始めたのです。
 掃除が終わった後、子どもたちに「あなたは、二年生なのにお姉ちゃんたちに負けないほど掃除をがんばっていたね」「六年生のあなたは、下級生に掃除を上手に教えるね。先生よりも上手いよ」と声をかけてほめることも多くなっていきました。
 子どもたちもほめられると嬉しいのか、掃除をがんばります。
 でも、やはり、掃除中に遊ぶ子もいます。 そういう子には「ここを先生と一緒に拭いてピカピカにしようか」と声をかけると、どの子も、がんばって拭きました。
 「そうかあ、掃除の時に遊ぶ子は、掃除の仕方が分からなかったんだな」そんなことも思いました。
 掃除指導が上手くいかなかったのは、掃除を子どもの問題として捉えていたからでした。実は、自分自身の問題だったのです。
 自分がまず掃除をやってみることによって、見える子どもの姿も、掃除の気持ちよさも分かるようになり、子どもに対する関わりも変わっていきました。


 令和二年三月、小学校教員を卒業させていただきました。
 最後の掃除は、卒業式に使う体育館シートの拭き掃除でした。汚れを探しながら、一つ、また一つと拭いていると、新米教師の時に、私が注意しても掃除をせずに遊んでいた子どものことを思い出しました。
 「今ならあの子と一緒に掃除ができたかもしれないなあ。腹を立てながら掃除しなさいと言っても掃除できないよなあ。悪かったなあ」そう思うと、その子が笑顔になったような気がしました。

 
追記
「小さい勇気をこそ」の詩の中に、鼻紙を拾う記述がありますが、現在、新型コロナウイルスの影響がありますので、そういった行動は慎んでください。
コロナウイルスが終息しゴミ拾いができる世の中に一日も早くなることを願っています。