花咲か先生の学級日誌(第3話) 「淳さん」


「淳さん」

 私は昔から落ち着きがない。じっとしていることがない。
小学生の頃、近所から苦情が来た。「徹ちゃんは、歩きながら店先のモモを指でつつくので傷ができる。困っている」と。


 家族で映画に行くと私だけがトイレに行ったり、売店に行ったりする。「お姉ちゃんは映画をじっと観ているのに、お前はなんでじっとできないんだ」と叱られた。
五十歳の誕生日、馴染みの店に妻と飲みに行った。


 すると妻が「お父さんはADHD(注意欠如多動症。発達障害の一種)みたいだね」と言う。「どういうことか?」と尋ねると、「だって、休みの日に仕事しているかと思うと、畑にいるし、畑かと思うと料理を作っているし。少しもじっとしていないものね」と言うのだ。


 子どもの頃に落ち着きがないのなら分かるが、五十歳になっても同じだとはどうしたことか。少し落ち込んだが、すぐに気持ちは回復した。
 というのは落ち着きがない分、エネルギーが半端ないことを自分でよく知っているからだ。特に好きなことに向かう集中力がすごい。
 ある日、出勤すると同僚から相談を受けた。「五年生の淳さんはとても明るくて、好きなことにはすごい集中力で取り組みます。でも、授業中に立ち歩いたり、自分の言いたいことを言って友だちとトラブルも多いのです。どうしたらいいですか。」
 私は、それを聞いて瞬時に思った。「俺の小さい頃とそっくりだ」そして「淳という子に会ってみたい」と。「分かりました。話を聞いてみます。」そう担任に伝えた。


 翌日の放課後、淳さんが私の教室にやってきた。
 教室に入るやいなや、私の方をチラリと見ただけで、机の上に置いてある立体パズルに近づいていき、
「これ、友だちの家でしたことがあります」
とパズルをし始めた。


 しかし、何度やっても完成しなかったので、それを置いたまま本棚に行き面白そうな本を物色し始めた。
 「淳さんは、本が好きなのかな」
と尋ねると、
「はい、好きです。野球をやっているので、野球の本をよく読みます。先生は野球は好きですか?」
 「そうだなあ。野球はあまり見ないかな」
そう返したが、その時はもう私の話を全く聞いていない様子。そして、
「こういった迷路の本も好きなんです」
と迷路の本を手に取り指先で迷路をなぞり始めた。その迷路の本も五分ほどすると飽きたらしく、次の獲物を探すかのように、教室内をキョロキョロと見渡している。


 「淳さん、ここに座って」
と私が言うと、ちょっとビクッとしたように思えた。先生から声を掛けられると「また、叱られる」と思っているようだ。
「淳さん、何か学校で困っていることはあるの?」
そう尋ねると「先生からよく注意されます」と話す。三十分ほど話を聞いただろうか。その日はそれで帰ったが、休み時間になるとたびたび私の教室に来るようになった。
 ある時、淳さんが友だちとトラブルを起こした。どうやら腹が立って友だちに暴言を吐いたらしい。淳さんを私の教室に呼び、話を聞いた。元気がなく、暴言を後悔をしていることが分かった。


 私は、ゆっくり話した。
「淳さん、友だちとけんかになりそうになったら、『闘争』と『逃走』という言葉を思い出すといいよ。『闘争』はその場にいて友だちとけんかすること。『逃走』は、その場から離れて頭を冷やすこと。どちらを選ぶか考えるんだよ」
そう話すと淳さんは、はっとした顔になり、
「そうかあ。その場から逃げると、けんかにならないなあ」とぽつりと言う。


 ある時は、
「授業中、立ち歩いちゃうんです」
と言うので、
「ポケットにスポンジのような物を入れておいて、歩きたくなったら、それを何度も握るといいよ」
とアドバイスした。自分と似ている淳さんへのアドバイスは、すぐに思いつく。


 半年ほど経ち、担任の先生が「淳さん、少しずつ落ち着いてきました」と伝えてくれた。
 しばらく経って、私が朝早く出勤した時、淳さんは運動場でお父さんとキャッチボールをしていた。それから注意して朝の運動場を見ると一人の時は壁を相手にキャッチボールをしている。同僚にも尋ねると、毎日来ているらしい。


 廊下ですれ違った淳さんに、
「毎朝キャッチボールをしているようだけれど、お父さんに誘われるの」と尋ねると、
「いえ、毎朝、僕が誘うんです。だって野球がうまくなりたいんです。だから毎朝、休みません。自分のやりたいことがあるので朝も布団から跳び起きます」
 それを聞いて私はこう話した。


「それだよ。それが淳さんの才能だよ。好きな野球なら朝早くでも自分から頑張れる。それがつらいどころか、楽しいんだろう。淳さんはじっとしていられないと話していたけれど、その分、エネルギーが大きいんだよ。人はね、コインの裏表なんだ。一見、マイナスだと思えることの裏にはプラスが隠されている。そこを自分で注目するんだ。そうすると驚くような力が発揮できる。先生は、淳さんの才能に期待しているぞ」
 話を聞きながら大きく頷き、だんだんと笑顔になっていく淳さん。


 そして一言。
「なんだか、気持ちが楽になりました。僕、野球、がんばります」  

  
それから、淳さんは中学校へと進学した。
 中学校での様子は詳しくはわからない。
 たまに淳さんと道ですれ違う。すると淳さんは、私の目を見て笑顔で大きく頷いてくれる。あたかも「先生、僕、自分のプラスを生かし、がんばっていますよ」というように。