「スペインのおばあさん」

「スペインのおばあさん」

   志賀内泰弘
        

 NTT西日本に勤める友人K君から届いたお話です。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大学2年生の春休み、ふらっとヨーロッパに一人旅をしました。
 イギリス、フランスを経て、南へ下りスペインに入った時の話です。そこは本当に太陽のような国で、まわりの人・空気 何もかもが温かく、人の行為にただ甘えながら楽しく旅を続けていました。

 1ヶ月が経過し、もう旅も終わりという頃、その出来事は起きました。

アルハンブラ宮殿で有名なグラナダという街に深夜到着のバスで
降り立ったとき、それまでの好天気と春の陽気はどこへやら、4月なのにひどく冷たい嵐のような暴風雨に見舞われました。

 もう旅も終わりとの安堵から、ほとんどの荷物は日本へ送ってしまった後で、傘や防寒具もガイドブックさえも持っていませんでした。人気もなく、方向もわからず、最初に着いたホテルも入り口が閉まっていて誰も出てきてくれる気配もありません。
体は冷えてくるし、暗く冷たい夜の恐怖感や自分の甘さに泣けてくるし、かなりパニック状態になってました。

 時間がどれくらい経過したかも全く覚えていません。

 ふと気づくと、目の前にかなり年老いたおばあさんが立っており、 心配そうな目で何かしゃべりかけてきました。ところが何を話しているかさっぱりわかりません。

 情けないことに自分はただ泣いているだけ。すると、そのおばあさんが僕の手をとって歩き出しました。今となってはどこをどう歩いたのかも覚えていません。

 連れていかれたのは、ひどく狭い古びた集落のようなところで
小さな部屋に6人も家族で暮らしていました。当事のスペインの失業率は25~30%近かったと思いますし、相当に貧しいご家族ではなかったかと思います。

警戒心の強い自分ですが、疲れと共に、なんだかそこに流れている空気に安堵して泥のように眠りました。

 翌朝目を覚ますと、家族が皆、心配そうに覗きこんでいました。  

恥ずかしそうに笑うと、子供たちが恥ずかしそうに笑い返してきました。皆のとても澄んだ瞳が印象的でした。
すぐにおばあさんが、スープとパンを持ってきてくれて皆で分け合って食べだしました。夢中で食べた後で、おばあさんが食べてないことに気づきました。

 自分が詫びると、くしゃくしゃの顔をさらにくしゃっとしながら
何か話しました。「いいんですよ」と言ってくれている気がしました。  

ひょっとして自分は、今日食べるものにも困っている家族から大切な食事を奪ったのではないか、そう思うと自分はどんどん恥ずかしくて居たたまれなくなってきました。
 そして、「もう出発しなければ」と言って、逃げるようにその場を離れようとしました。

靴をはき、振り返って おばあさんの瞳をみた瞬間、自分でもびっくりするような大声で、
「ムーチャス・グラシアス!」
と叫んで家を飛び出していました。

落ち着いたら、また涙がでてきました。名前も住所も聞いておらずお礼のしようもありません。二十歳にもなって まともな行動ではないでしょう。そのときは心の中がいっぱいで、歩きながら心の中で何度も何度も感謝を繰り返しました。
考えてみれば、薄汚れた格好をしたヒゲだらけの謎の東洋人に対して、精一杯のものを与えてくれたのだと思います。助けて頂かなかったらどうなっていたのか。
情けない話ながら、心の底から誰かに感謝した初めての経験だったと思います。

 日本に帰ってから、棘とげしく人を寄せ付けないオーラを常に出していた自分が、皆に「変わったね」と言われ出しました。

 「スペインのおばあさん」に学ぶ気づきのキーワード

「恩送りしてゆくということ」

 

 若い女性Aさんの話です。

仕事帰りに夕立に遭ってしまった時のことだそうです。あいにく傘を持っていなかったので、シャッターの閉まったお店の軒下で雨宿りをしていました。しかし、なかなか止みそうにありません。そこへ傘を差したおじさんが現れました。片手に持ったもう一本の傘を差し出しながらこう言いました。
「この傘あげるわ。骨一本折れてるし」
さらに、
「どうせ捨てようと思っていた傘だ、少しの間でも君の役に立つならこの傘もよろこぶよ。返すなんて面倒なことはしなくていいから」
そう言うと、おじさんは少し照れくさそうに去って行きました。
そのおじさんの好意を素直に受け止めることにしました。翌日、骨の折れた傘を200円で修理してきました。おじさんの優しさがこもった傘は、いつか私と同じように雨に濡れて困っている人に差し上げることにしました。人からもらった恩を、その人に返さずに順繰りに回してゆくことを「恩送り」と呼ぶそうです。この傘が人から人へと送られて、日本全国を旅して、人の温もりを繋げていったらいいなぁと思っています。

 

さて、スペインのおばあさんの話です。おばあさんは、間違いなく、何かのお礼を求めて一晩の宿と朝食をご馳走してくれたわけではありません。見返りを求めない厚意。それは奉仕の心です。
友人は、このおばあさんにお返しがしたくても、今ではその場所さえわかりません。でも、他の人に恩を送ることはできます。K君は、イベントがあると司会や裏方の仕事をして手伝ってくれます。まさしく、ボランティア精神の豊かな人です。
人からの厚意は素直に受ける、そして、それを恩送りしてゆくことで誰もが住みやすい社会になることでしょう。

 

 志賀内泰弘著「毎日が楽しくなる17の物語
~ようこそ「心の三ツ星レストラン」へ」(PHP研究所)より抜粋