「大谷泰志さんの、高い高いアンテナの話」 志賀内泰弘

「大谷泰志さんの、高い高いアンテナの話」 志賀内泰弘

長年の夢だったPHP研究所さんからの出版がかなったのは、大谷泰志さんからの一枚のハガキでした。
「このたび、東京へ異動になり編集部長を拝命しました。ついては、本の企画書を出されませんか?」
それよりも、5年ほど前、一度、月刊PHP誌の姉妹紙で取材を受けたことがありました。それで、私の事を覚えていて下さったのです。それに飛びつくようにして、すぐさま企画書を送ると、すぐに出版が決まりました。
「毎日が楽しくなる17の物語~心の三ツ星レストラン」という本です。

どうしたら、本が出せるのか。
悩みもがいていた時、大谷さんの記憶の抽斗から、志賀内という人間を摘まみ上げてもらったことで、作家人生が動き始めました。それは、まるで、「本を出したい」という私の強い波長を、高く掲げたアンテナで受け取ってもらったような感覚でした。

それから、また5年ほどが経ったある日のこと。
上京した私は、大谷さんとお茶をした帰りに、エスカレーターでこんな話をしました。
「そうそう、先日、名古屋の星ヶ丘というところにあるレクサス店を訪ねたら、ものすごい警備員さんがいたんです」
食い入るようにして話を聞いた後、こう言われました。
「それ、本にしましょう!すぐに企画書を書いてください」
それが、ベストセラーになった「トヨタ№1 レクサス星が丘の奇跡」でした。

なにげないオシャベリが、本になる。
編集の仕事とは、高い高いアンテナを日々張り続けることから生まれるのだということを学びました。

それからまた、しばらく時が経ちました。
その頃、私は、末期の乳がんに罹ったカミさん看病介護を24時間365日していました。そして、その生活も5年目に入っていました。
心身ともにボロボロで、「とにかく、カミさんより先に死んではいけない」と思って毎日を過ごしていました。
そんな中、大谷さんから、電話があり、こんなことを言われました。
「どうですか?奥さんの具合は。志賀内さんはどんな生活を送ってますか」
そして、続けてこう続けられました。
「志賀内さんは書いた方がいいと思います。もし、引き受けていただけるなら、PHP誌に短編読み切りの小説を連載されませんか?」
辛くて辛くて、ほっておくと心は悪い事ばかりを考えてしまっていました。
負のスパイラルに落ち込んでいたのです。ひょっとしたら、「書いたら」そこから抜け出せるかもしれない。そう思い、引き受けました。

カミさんを看取る、最後の一年半、その連載は続きました。
一番苦しい時でしたが、その小説を書くことで、その間だけは「カミさんを失う」という恐怖感から逃れることができました。何もせず、ただ看病介護だけしていたら、心が疲弊し、「うつ」になっていたに違いありません。
そして、カミさんを見送った翌月、その連載は一冊の本にまとまり出版されました。
それが、「5分で涙がふあふれて止まらないお話 七転び八起の人びと」です。

カミさんを看取る、少し前のことに話は遡ります。
抗がん剤、ホルモン療法が効かなくなり、病状は坂道を転げ落ちるように悪化していました。絶望の淵に立たされ、目の前は真っ暗でした。そこへ一通の手紙が届きました。大谷さんからです。
開封すると、一枚の御朱印が出てきました。京都の名刹「因幡堂 平等寺」のものです。なんでも、この寺の因幡薬師さんはがん封じのご利益があるそうなのです。
おそらく、よほど電話の声が弱々しかったので、なんとかできないかと思われてのことだと思います。
御朱印を手にして、その気遣いに私は泣きました。

カミさんを見送った後、私は廃人同様の状態になりました。
親友は言います。
「カミさんを見送ったら、僕も死ぬって言ったぞ」
と。そんなことを言った覚えはないのですが、当たらずとも遠からじでした。死ぬ勇気もなければ、生きる気力もない。
そんな毎日を、日永、近くの公園にあるスタバで、ボーとして過ごしていました。ただ、「呼吸をしているだけ」の生活が半年ほど続いたある日のことです。
大谷さんから、またまた勧められたのでした。
「ボーとするのはわかるけど、それでも志賀内さんは書いた方がいいと思うよ。書けますか?」
その一言に、背中を押されて始まった連載が、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」でした。

その後、PHP文藝文庫で文庫化され、シリーズは続いています。
「書く」ことで、「生きる力」を与えてもらったのが大谷さんです。
今、辛い目に遭っている人。
今、苦しくてたまらない人。
そういう人たちの心の糧になるような小説を「書く」こと。
与えてもらった「生きる力」をそのために使っています。
それが、私が苦しかった時に、大谷さんから声を掛けてもらったり、励ましたもらったバトンを「恩送り」することになると思っています。
いつも、心にアンテナを高く高く掲げながら。