シングルマザー・大津たまみさんの「夢」への挑戦(その2)~母親の「愛」で、どん底からはい上がる~

シングルマザー・大津たまみさんの「夢」への挑戦(その2)
~母親の「愛」で、どん底からはい上がる~
志賀内泰弘

働く場所がないなら、自分で作ろう!
仕事がない。シングルマザーだというだけで、どこも雇ってくれない。ようやく就けた仕事も条件が悪く、いくら成果を上げても正社員になれるわけではない。ただの部品の扱いです。
大津さんは、「働く場所がないなら、自分で作ろう!」と思い立ち、家事代行業 (株)アクションパワーを立ち上げます。その時、まだ幼い息子さんにこう頼みました。
「お母さんに2年間だけ仕事をさせて。2年やってダメだったらお母さんに能力がなかったということ。2年間だけ我慢してくれる?」
9歳の息子さんは、「よくわかんないけどわかった」と言ってくれたそうです。

シングルマザーは、ヤクザと同じ?
ところが、事務所を借りるため不動産屋さんを訪ね、またまた愕然とします。どこも貸してくれないのです。まず、「保証人を付けてください」と言われます。両親は共に保証人になれる状況ではありませんでした。不動産屋さんの担当者はこう言いました。
「シングルマザーはヤクザと同じだ」
と。たぶん、家賃の未払いの人が多くて敬遠されていたのでしょう。中には、こんなひどいことを言う人も。
「オレの女になるんだったらいいよ」
大津さんは絶望の淵で途方にくれました。しかし、そこに救う神が現れたのです。ある不動産屋さんを訪ねた時、窓口の女性と話をしていると、その人もシングルマザーだというのです。彼女が、上司に進言してくれました。「この人は信用できます。貸してあげてください」と。そして、住宅地の真ん中にあるアパートを、事務所として借りることができました。いよいよ、事業がスタートできます。

最大のピンチが大津さんを襲う!
友人に「こんな仕事をこれからするの」とプレゼンをして、もしも掃除や片づけに困っている人がいたら紹介して!と頼みまくりました。少しずつ、ハウスクリーニングや家事代行の仕事が増えて行きました。スタッフも雇いました。もちろん、自分自身が一番、猛烈に働きました。朝から晩まで、身を粉にして。
しかし、夜、遅くになっても帰らない母親に息子さんは、一人アパートで寂しい思いをしていました。嬉しい事も悲しい事もつらい事も、たった一人で過ごしていきながら解決していきました。
学校で息子が片親になった事で嫌な思いをしないようにと、担任の先生に「離婚したことを、わからないようにして下さい」とお願いしました。しかし、しばらくして、保護者の会で、その担任の先生にこんなことを言われてしまったのです。息子達がやんちゃな事をした話をした際に「片親だから、保護者の目が届かないからそのような行動に出るのよ」と。みんなの前で言われました。もう涙を通り越し、ショックで押し潰されそうでした。

母親が体調の異変に気づいてくれた
がむしゃらに働きました。働いても働いても「貧困」から抜け出せません。起業して半年が経ったある日のことです。大津さんは身体の異変に気づきます。突然、身体の震えが止まらなくなってしまつたのです。それは・・・疲労と栄養失調が原因でした。母親が、体調の異変に気付いたのです。
それまで、心配を掛けないようにと黙っていました。母親に、「大丈夫?」と訊かれても「大丈夫よ」と答えました。精一杯の強がりで、心と身体の限界を隠そうとしました。ところが、母親は、すぐに察しました。そして、こう言ったそうです。
「「できる子」に産んだんだから、あなたならできる」
そして、目の前にスッ~と茶封筒を差し出しました。中には200万円の現金が入っていました。それは大津さんが、初めて母親に心のうちを話し、甘えることができた瞬間でした。

(株)アクションパワーの快進撃始まる!
そのお金で、名古屋駅に事務所を移転します。すると、あら不思議。次々に大手企業から仕事が舞い込みました。名古屋駅前の一等地という立地が想像を超える「信用」を生んだのです。
中にはトヨタ自動車の販売店さん向け研修会での講師としての仕事もさせていただけるチャンスをもらいました。全国の店舗で環境美化のレクチャーをするという大きな仕事でした。そこから、大津さんの快進撃が始まりました。その後は、急成長を遂げ東京進出も果たし、関連会社は4社となり携わるスタッフも百数十名に増えました。「8秒で幸せをつかむ片づけ力」(かんき出版)、「幸せになる!生前整理ワークブック」(PHP研究所)ほか多数の出版をし、ひんぱんにテレビにも出演します。あの苦しい「貧困」から抜け出したのです。
それは、本人の頑張りもさることながら、母親の「愛」のおかげでした。母は偉大です。母の力は尊大です。