「義足のランナー」(その1)~何も学ばなければただのバカだよ

~何も学ばなければただのバカだよ 志賀内泰弘

ホノルルマラソン、ニューヨークシティマラソン、東京マラソン、バンクーバー国際マラソン、ロンドンマラソンなど、数々のマラソンを完走している友人がいます。沖縄で、車検工場を営む島袋勉さんです。

「走る」ことは、ブームと呼べるほど多くの人たちに広まってきました。そのランナーたちが、一つの目標とするのがマラソンの完走です。42.195キロを二本の足で完走すること。それだけで至難です。ところが、島袋さんには、その二本の足がないのです。両足とも義足なのです。

島袋さんが挑むのは、マラソンだけではありません。ツールド・おきなわ沖縄一周323キロ、愛知県知多半島から鹿児島まで1.310キロ自転車完走、駿河湾海抜0メートル地点から富士山5合目まで自転車で、その後徒歩で登頂するなど、登山や自転車によるチャレンジも続けています。さまざまな大会への出場数は、なんと97回にも及びます。超人とも呼ぶべき偉業の源はいったいどこから湧いて来るのでしょうか。

2001年4月10日午後10時5分頃、島袋さんは千葉県船橋市の電車の踏み切りで事故に遭いました。意識が戻ったのは、その二日後でした。背中が痛いので寝返りを打とうとするのですができません。「おかしい」と思ってシーツをめくったその時でした。両足が無いのを目の当たりにして呆然としました。

その上、脳の機能障害も起こしてしまい、つい先ほどの出来事さえも忘れてしまう状態になってしまいました。さらに人の顔が二つにも三つにも見えました。ベッドの上に座ろうとするのですが、すぐにめまいを起こし、気分が悪くなるのでした。

そんな中、右足の親指が締め付けられるように痛みました。左足の中指は刺されるにように痛い・・・いや、そんなはずはない。両足ともないのですから。島袋さんは、これを「幻肢痛」と呼ぶことを初めて知りました。痛みで眠ることさえできません。ある日、真夜中、痛みで眠れないでいると、看護師さんに声を掛けられました。
「島袋さん、運が良かったですね」
「え!?」
島袋さんは目を丸くしました。両足が無くなって「運がいい」わけがない。首を傾げていると、こう言われました。
「義足を履いたら歩けるようになりますよ」
と。とても信じられませんでした。これから自分は、ずっと車椅子の生活だと思っていたからです。そんな慰めにもならない言葉は聞きたくない・・・。

そんな中、リハビリを始めた頃のことです。病院の電話番号を伝えるため、実家に電話をかけました。母親が出ました。
「痛い?」
と聞きます。
痛いに決まっています。傷の周辺を氷で冷やし、痛み止めを飲み、座薬まで使って痛みに耐えているのです。心配をかけないようにしようと、できるだけ明るい声で答えました。
「そりゃ痛いよ」
すると、母親は、
「そんなに痛い思いをして、何も学ばなければただのバカだよ。アハハハハ」
と笑って言いました。島袋さんは、その笑い声を聞いて思いました。自分は、何と言ってもらいたかったのか?長く病院生活を続けていると、すっかり同情の言葉に慣れてしまう。「痛いでしょ。大丈夫?」と言われることを期待していたことに気付きました。

「甘えている自分がいる」
「ああ、これではいけない」
「そこから何かを学ばなければいけないんだ」
この時から、日々の努力の中から何かを学ぼうと意識するようになり、周囲の光景がいろいろな色に変わって見えるようになったといいます。

一つ、私自身にも思い当たることがありました。生死を彷徨うような大病をした時のことです。完治はしないと言われ、退院後も薬の後遺症に苦しみ、「もう俺の人生は終わりだ」と落ち込んでいました。そんな時、お医者さんに言われました。
「病気は気付きです。なぜ、そうなったのか、気付いて学ぶことが大切です。気付くために、神様があなたを病気にして下さったのです」
もちろん最初は反発しました。でも、その言葉のおかげで「心の持ち方を変えよう!」と努力をするようになったのです。

さて、そこから島袋さんは、妹さんのサポートを得て、猛烈な、かつ過酷なリハビリを始めたのでした。
切断された部分に包帯を巻くと、義足が履けなくなります。包帯なしで義足をはけば猛烈な痛みが襲います。それでも「傷の痛みは怖くない。怖いのは歩けなくなることだ」と歩行練習を続けました。朝、6時に起きると、病院の周りをぐるぐる回って歩く練習をします。長時間歩くと、切断部分に傷ができ痛くなる。それが看護師さんに見つかると包帯を巻かれるので、「痛くないフリ」をしますが、結局バレてしまう。それでも島袋さんは、リハビリを止めませんでした。歩けなくなることの方が怖かったと言います。

その病院には義足を作る制作室がありました。ある日、義足を作ってくれる人が島袋さんの元にやって来て、1枚の写真を見せてくれました。それは、シドニーパラリンピックで両足とも義足の人が走っている姿でした。
「時間はかかるかもしれないけれど、訓練をすれば走れるようになりますよ」
と言い、その写真をプレゼントしてくれました。「両足が無いんだから、ただ普通の生活ができればいい」と思っていた島袋さんでしたが、大きな目標ができました。
「マラソンを走りたい」
誰もが無理だと思いました。その写真を見せて励ましてくれた人さえも。

しかし、島袋さんは挑みました。痛みと戦いつつ、言葉にできないほどの練習を積み重ね、なんと義足でホノルルマラソンを完走してしまったのです。その島袋さんから教えられた言葉があります。
「悩んでいることなんて、時間の無駄なんだ」
辛い時、苦しい時、島袋さんの笑顔と共にこの言葉を思い出します。