玉置崇の教師奮戦記(その2) 包丁を持ってきた少年

 初めて中学校で担任した時に出会ったB少年の話をしたい。
 このB少年は家出常習者だ。担任の私は、夜中に何度行方不明の彼を捜したことか。


 

 家出する事情はよくわかる。家にいたくないからだ。親が原因だ。Bが小学生の頃に、親が仲違いをして子供を育てることを放棄し、施設に預けられていたのだ。。ところがその後、夫婦仲が戻り、Bが中学生になったときに施設から戻され、再び親と暮らすようになった。それがB少年だ。
 精神的に不安定となることが多い中学生の時期に、自分は親から見捨てられたと自覚している子供が家にいるわけはない。親が寝静まってから戻ろうということなのだろう。下校後、まっすぐに家に帰らない。なかなか帰らない子供を心配して、「まだ家に帰ってこない」と親から担任の私に連絡がある。「こちらでも探してみます」と返答して、Bを深夜まで探すことが何度もあった。昭和57年のころの話だ。今思うと、自分はよく動いていたものだ。独身だからこそできたことだ。今なら「それは親の責任ですよ。心配なら警察に相談してください」と言えば済む事例だ。このころ(今のそうだが)、学校はあらゆることを抱え込んでいた一例だ。
 探しても、まずBを見つけることはできなかった。多くの場合、Bは深夜に家に戻ったが、一晩中家に戻らず、翌日、何事もなかったように登校することもあった。
 こういうことをしているBは学級になじめない。彼の心境を理解することは他の生徒には無理だ。家庭環境があまりにも違う。だから、学校に来ると、何かと私に話しかけてくる。気をひくために、ちょっかいを出してくる。人なつっこいところもあって、担任である私は、彼のこれまでの人生も考えて、日に日に可愛いと思う気持ちを強くしていったのは確かだ。
 あるとき、彼に「もう家出は止めてくれ。どこかに行きたくなったのなら、先生の家に来い。その方が探さなくて済むから」と言った。これも独身だからこそ、言えたことだ。
 こうしたこともあって、時々、Bは私の家に来るようになった。夕飯を一緒に食べたこともしばしばだ。泊まっていったこともあった。



 Bが私の家に泊まった日の朝のことだ。私の家に連絡が入った。昨晩、Bの母親が急死したとのことだった。死ぬ間際に、母親は「子供に会いたい」と言ったこともあって、親戚の方々がBを探しまくったという話も聞いた。親戚には、彼が私の家に泊まっていたことが伝わっていなかったらしい。
 彼は母親をどう思っていたかはわからない。だが、私が家に泊めていたために、Bを母親の最後の場面に出会わせることができなかった。人として、とんでもないことをしてしまったのではないかと思った。本当に申し訳なく思い、彼に謝ったが、「別にいいよ」といった返答だったと記憶している。
 彼は中学卒業後、居酒屋に勤めることになった。自分で決めた就職先だったのか、勧められた勤め先だったのかは定かではない。家から離れたくて仕方がないBだから、住み込み就職だったことが決め手になったのかもしれない。

 彼が卒業して2年目の冬、年が押し詰まった12月26日の寒い夜のことだ。玄関のベルが鳴った。出てみると、Bだ。
「おお、久しぶりだなあ。元気でやっていたか?」
 と思わず大きな声が出た。彼は
「包丁を持ってきた」
 と言った。いきなりの「包丁」という言葉にびっくりした。
「先生、今日、店の大将からようやく刺身を料理してもいいと言われたんだよ。僕が初めて認められた刺身は、先生にぜひ食べてほしいと思って来たんだ。包丁と魚を持ってきたから、台所を貸して」
と彼は言った。
「ええ、おまえの作る刺身・・・」
と言いながら、すでに涙が出ている。さっそく家に招き入れ、台所を貸した。
私はテーブルの前に座り、止まらぬ涙を拭くこともせず、刺身が出てくるのをじっと待っていた。嗚咽しつづける私に「どうしたの?先生」というB。言葉を返すことができない。
どれほど時が経ったのだろう。それほど時間はかかっていなかったと思うが、肩まで振るわせて泣いていたあのとき。時が止まっていたようにも思う。
刺身の味はまったく覚えていない。ニンジンで作った紅葉の葉っぱがあまりにも分厚く、涙を流しながら「これはまだまだだな」と言ったことを記憶している。
夜中に彼を探しまくったこと、我が家に泊まっていたときのこと、母親の死に目に合わせることができなかったことなど、走馬燈のように次から次へよみがえったあの夜。



それから何年経ったときだったろうか。彼の父親が経営する居酒屋に行ったときに、Bはバイク事故で死んでいたことを知った。

 大学で教師を目指す学生に、教師のあり方を話す講義がある。この出来事は、涙がこぼれるので用心して話している。もちろん「私のようにしなさい」と言っているわけではない。こうした類い希なエピソードを聞いた学生が、教師という仕事について何かしら考えてくれればよいと思ってのことだ。
 今は「働き改革」が言われる時代。このようなエピソードに眉をひそめる人がほとんどだろう。当然だと思いつつ、出会った子どもの人生のために、教師としてできることを精一杯やるという精神だけは褒められていいと思う。いかがだろうか。