玉置崇教師奮戦記(その3) だして・とんで・かたづけて

玉置崇教師奮戦記(その3) だして・とんで・かたづけて

教師になって、学校はなんて無駄が多いところだ!と思うことはいくつかあった。しかし、若いので職員会議ではとても発言できない。宴会で先輩に自分の考えを伝えると、「君の言うとおりだ。私も随分前からそう思っている」と言われるが、その先輩が職員会議で、その考えを表明することはなかった。社会に出て3年目。世の中はこういうものだと悟りかけてきたときに、学年主任から「無駄なことは止めよう」という提案があった。その話をしたい。

4月早々に、学年主任から、次の指示を受けた。
「玉置君、10月の運動会競技を一つ考えてくれないか。僕はね、運動会のためにかなりの練習時間を使うことはおかしいと思っている。運動会は日頃の体育授業の発表の場であるべきだと思っている。日頃からしっかり取り組んでいれば、わざわざ練習するという無駄なことはなくなる。このことを頭に入れて、何か提案してほしい」
学年主任の考えに同意できた。運動会前になると、見せることだけを考えて、かなりの練習をする。行進は、どこかの国のように一糸乱れずということを信条として、世間から見たら異常な指導をする人もいる。もちろんすべてを否定するわけではないが、体育の時間に学んだことをそのまま披露することができれば、特別に練習する時間は必要ないはずだ。
指示を受けてから、本を読んだり、過去の運動会の競技を調べたりしたが、これだ!というものがない。悶々とした日々が続いた。
あるとき、面白いアイデアがふと浮かんだ。学年主任の思いにしっかり応えることができる種目だ。競技タイトルもすぐに決まった。「だして・とんで・かたづけて」だ。

4年生4クラスで行う、次のような運動会競技だ。
① それぞれの学級で、準備係(15人)、片付け係(15人)、指示係(残りの人数)を決めておく。運動場の各学級控え席で待機しておく。
② 「よーい!ドン」という合図で、各学級の準備係の子供は、運動場の隅にある器具庫に向かい、跳び箱、マット2枚を運動場の指示された位置に設置する。その他の子供は指示した場所(運動場の中央)で、体操座りをして待つ。
③ 指示係が跳び箱とマットがきちんと設置されていることを確認して、跳ぶことを開始できることを宣言する。
④ 全員が跳び箱を跳ぶ。
⑤ 跳んだあとは、指示された場所に順に体操座りをして待つ。
⑥ 全員が跳んだところで、片付け係は、跳び箱とマットを器具庫へ運ぶ。指示係は片付けがきちんとされていることを確認する。他の子供は、控え席に戻り待機する。指示係は全員が席に座った段階で、完了宣言をする。
⑦ 完了宣言ができた順をその学級の順位とする。
⑧ 跳び箱とマットを「だして」、全員で「とんで」、最後は「かたづけ」までするので、「だして・とんで・かたづけて」と命名する。
この競技を学年部会で提案したときには驚かれた。「こんな競技、見たこともない。準備開始から競い合うなんて・・・」とも言われた。反対だという表情した担任がいたが、学年主任は「面白い!」と言って賛成してくれた。「跳び箱の授業をしっかりやっておいて、その成果を運動会で見てもらう。とてもいいじゃないか」と言葉を加えてくれた。
そして、とても重要なことを放った。
「玉置君、全員が跳び箱を跳べるようにしておかないといけない。運動会という晴れの舞台だ。親が見ている。全校の子供が見ている。その前で恥をかかせるわけにはいかない」
とても重い言葉だった。ここまで考えて提案したわけではなく、この提案は引いた方がよいかとも思ったが、学年主任はやる気だ。
「この機会に全員が確実に跳び箱を跳べるようにしてやろう。そのために授業ではどうすればいいか。今度はそこを提案してほしい」
と言われた。初めて学年主任の真の思いを知った。日常の体育授業の延長にある運動会がいかに難しいものかを思い知った。

跳び箱指導のコツをまとめ、学年の先生方に配付した。それをもとにした指導で、ほとんどの子供は跳べるようになった。ごく少数の不安を抱えている子供は、学年主任と放課後に個別練習をさせて、運動会当日を迎えさせた。

競技開始の時刻になった。控え席に座ったままの4年生。いつ始まるの?と思っていた人がほとんどだろう。「よーい!ドン」という合図で、控え席から器具庫に向かう子供たち、運動場の中央に出てくる子供たち、やがて跳び箱とマットが運び込まれ、合図で次から次に跳んでいく子供たち。
競技名「だして・とんで・かたづけて」をようやく察した参観者。大歓声が起きた。跳ぶたびに拍手が起こる。
見事、4年生全員が失敗することなく、跳び箱を飛び越えた。さらに大拍手が起こった。そして、すぐに片付けに入る子供たち。笑いも起きた。全員が控え席に戻ったときに完了宣言。
子供たちの頑張りに胸がいっぱいになった。まさに「日常体育の延長の運動会の実現」ができた瞬間だ。学年の先生方と握手をして大成功を祝った。

このときの学びは、その後の教員人生に大いにプラスになった。日常が充実していれば、特別なことをする必要はない。慌てることはない。なぜ今、このことに取り組むのか。このことがいずれどこにつながっていくのか。このような視点を持てたことが、なりより大きい。これは学校だけでなく、どの社会でも言えることではないだろうか。