苦しいのは自分だけじゃない

「苦しいのは自分だけじゃない」
志賀内泰弘

尊敬する先生がいます。
愛知県瀬戸市立幡山東小学校教頭の渡辺康雄先生です。平成25年1月「あこがれ先生プロジェクト」という1.000人規模のイベントを主催されました。それは全国で講演を行っている中村文昭さんが企画提唱している活動で、素晴らしい教育理念を持って子供たちを導いている先生に登壇してもらい、先生たちに学んでもらおうというものです。
たいへん失礼ながら、学校の先生の中には、一般社会の仕組みや常識をご存じない方がいらっしゃいます(本当にごめんなさい。一部です)。いや、それは先生に限ったことではない。いわゆる「会社人間」と言われるサラリーマンも同じでしょう。しかし、渡辺先生は、学校の外に実に幅広いジャンルのスペシャリストのネットワークを持っています。そしてパワフルな実行力。しかし、そんなピカピカ輝いて見える先生にもこんな光と影がありました。
今から26年前、渡辺先生は大学を卒業して希望を胸に教員になりました。教員2年目に、2年生の担任を受け持つことになりました。初めての学級担任です。ところが、それは悪夢への入口でした。
何が原因かわからぬまま子供たちから反発を受け、避けられることが多くなりました。合唱コンクールでは「全員で歌わない」という約束をしたらしく、ピアノ伴奏だけが響き渡る。ある日、教室に掲示した学級写真の自分の顔に画鋲が刺さっているのを見つけました。まさしく、学級崩壊の状態。
「叱ってばかりではダメ」という先輩からのアドバイスを受け、生徒のいい面を見つけて褒めると、別の生徒からは「なんであの子だけ」と・・・。注意すべきことがあって叱ると「なんで、あんな注意の仕方なの?」。動けば動くほど悪循環にハマっていきました。
こんなに人から嫌われた経験も無かったので、本当につらかったと言います。あと何日で3学期の終業式が来るっていう思いだけで生きていた。本当に情けないけれど、そうでも思わなければ、自分自身が潰れそうだったそうです。
次の年の4月。1年生の担任となり、前のようなクラスは絶対に作るまいと心に決めて必死に頑張りました。その子らを3年生まで受け持って卒業させたとき、自分の中で1つの区切りがついたようで本当に嬉しかった。学級崩壊をさせた自分が卒業生を送り出せるとは想像できなかったので、感慨もひとしおだったそうです。
それから20年余りの月日が流れたある日のことでした。学級崩壊させたあの生徒たちからクラス会を開きたいという連絡がありました。渡辺先生には忘れてしまいたい過去です。
「ごめん。その日はどうしても外せない用事があるので、あなたたちだけでやってよ!」って返事をしました。「私たちだけでやります」って言われ、ほっとしました。
クラス会が終わり、幹事の子が学校へやって来ました。
「先生、やっぱりみんなが先生に会いたがっているんです。今度は先生の都合に合わせます。いつなら空いていますか?」と。もうそこまで言われたら腹をくくるしかない。重い足取りで会場に向かいました。学級崩壊したときの子供たちは、当たり前のことですが大人の顔つきになっていました。その中の一人が言いました。
「先生、あの頃はご迷惑をおかけしてすみませんでした」
え!?・・・。その後のことは覚えていない。ただ、肩の力が抜けたというか、過去の忘れたい思いが溶け出していくような気がしたそうです。さらに、クラス会が終わってから、一人の女子生徒から手紙が届きました。
「クラス会に参加していただき、ありがとうございました。みんなと話していたとき、当時のことを次々と思い出しました。先生に対して私たちは本当に迷惑をかけ、困らせていた。本当は直接言いたかったけど言えなかったから、手紙で伝えさせてください。本当にごめんなさい。私は小学校2年生の娘を持ち、幼稚園の先生として働いていますが、今になって先生の大変さが分かります。でも、こんな私たちに、笑顔で会ってくれたことが本当に嬉しいです」
ああ、苦しんでいたのは自分だけではなかったんだ。子供たちも同じだった。担任を困らせて喜んでいた訳ではなかったのだ。それなのに、あの頃の自分はすべてを子供たちのせいにしていた。この時、渡辺先生は、自分がこの年まで教員を続けることができたのは、彼らのおかげだと確信したそうです。彼らが体を張って「あなたのやり方ではダメです!」って反発することで教えてくれたのだと。そうでなければ、都合が悪くなったときにはすべて他人のせいだと考える傲慢な教師ができあがっていたに違いないと。
渡辺先生は言います。
「彼らは自分の恩師なのかもしれません。『過去は変えらないが、未来は変えられる』と言います。しかし、自分は『過去の出来事は変えられないが、その過去が持つ意味や意義は変えられる』と信じています。 生きていれば自分に都合のいいことも、そうでないことも降り掛かってくる。しかし、それをどうとらえるかが、少しでも理想の未来へと繋がっていくと信じています」

私にとって、渡辺先生は「あこがれ」です。