エッセイ⑩「悲しい記憶を人への愛に変えて」

日本講演新聞の中部支局長でコラムニストの山本孝弘さんに、寄稿をお願いしました。
「コロナ禍でみんなの心がモヤモヤしています。ジーンと来るいい話を書いていだけませんか?読者のみなさんの心が温かくなるようにと心を込めて」
すると、こんなお話が届きました。
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「悲しい記憶を人への愛に変えて」

山本孝弘

内科医をしている3歳年下の友人、勝野(仮名)と久々に食事に行った。
常に患者に寄り添う彼は多くの患者に慕われている。ファンがとても多い。
彼は山村で育ち、家系的にも医師とは無縁である。なぜ医師の道を歩んでいるのかその日彼に聞いてみた。
「暗い話だから今まで他人に話したことはなかったんですよ」
蕎麦を食べ終わった勝野は医師になった理由をとつとつと話してくれた。
話は彼が小4の時に遡る。
ある日、自宅の庭で遊んでいると、近くで大きな音がした。驚いた父親が家から出てきた。一緒に音のほうへ向かうとバイクが転倒しており、男の人が倒れていた。痙攣している足はおかしな方向に向いていた。
人が次々と集まってきた。すぐに誰かが救急車を呼んだが、如何せん山奥の集落のため、到着までに45分以上かかる。ヘルメットで表情は見えなかったが、助けを求めている声が漏れていた。みんな「頑張れよ!」としか言えなかった。救急車がようやく来たが、ここから病院までがまた遠い。
数日後、その人が亡くなったという噂が集落に流れた。結婚間近だったらしい。それを聞いた勝野は泣き、そして自分を責めた。「あの時、勇気を出して近くに行き、誰かに何か伝えたいことはありますかと聞けばよかった」と後悔したそうだ。
「自分が医者だったらどんなによかっただろう」
まだ幼かったその日。彼は初めてそう思った。
中1の時にはこんなことがあった。2つ上にトオルというおとなしい男の子がいた。母子家庭だったが祖父母の家に預けられており、母親は一緒に住んでいなかった。公園で幼い妹と遊んでいるのをよく目にし、自分にもあんな優しいお兄ちゃんがいればなあと思った。
夏の暑い日、トオルは登っていた木から落ちて頭を強く打った。救急車の到着がやはり遅かった。それから数時間後、若すぎる命が消えた。妹のためにカブトムシを捕ろうとしていたそうだ。
トオルとは話したこともなかった。だが勝野はその短い人生に思いを馳せ、その日は夜まで部屋で泣き続けた。儚い命を思い、自分に何ができただろうかと考えた。
中学を出ると、生まれ育った山村を離れ街の進学校に通った。下宿先から高校へ通う勝野に担任の先生が聞いた。
「おまえは将来何になりたいんだ?」
僕は何になりたいんだろう?
僕は…、やっぱり、僕は…。
先生のその問いが、おぼろげでよく見えなかった彼の仄かな夢を志に変えた。
「僕、医者になります!」
多くの患者を診てきた勝野は言う。
「患者に同情するのが医師ではない」
病気になって心が豊かになった人も多く見てきた。「人生が感謝に溢れた尊いものになってくれたら…」、そんな思いを込めて今は患者に聴診器を当てる。そして患者をほっとさせる安心感を全身から出そうと常に意識しているそうだ。
「俺が女だったら絶対おまえに惚れてるな」と僕は言った。
「気持ち悪いっスね。僕はフリますよ」と彼は笑った。
僕は健康だけが取り柄だが、いつか彼の患者になってみるのも悪くないなと思った。
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(志賀内より)
いい友達だなあ~
こんなお医者さんに診てもらいたいです。
私も間違いなく勝野さんに惚れました!

そんな山本さんのエッセイは、この一冊で楽しめます。
オススメです。

「明日を笑顔に(晴れた日に木陰で読むエッセイ集)」(JDC出版)

(志賀内より)
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