エッセイ⑨「生き下手だった父の生き方」

日本講演新聞中部支局長の山本孝弘さんに、心温まる話を書き下ろしていただきました。
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「生き下手だった父の生き方」
山本孝弘

父に思いを馳せると生き方が下手で母に迷惑を掛け続けた人生だったなあと思います。
お酒にだらしなく、休みの日は朝から飲んでいました。帰りが遅いなと思ったら庭で寝ていたのは一度や二度ではありません。いつも酔ってふらふらしている父を見るのは子どもの頃の自分たち兄妹には嫌で仕方ありませんでした。
父は小1の時にまだ四十代だった父親を病気で亡くしました。幼い弟と妹がいた父は家計を支えるために中学を卒業してすぐに工場で働き始めたそうです。
「高校に行きたかったなあ。俺は頭が良かったんだけどなあ」
酔うとよくそんなことを呟いていました。
そんな学のない父でしたが、川柳を詠む才能はあったようです。父は古い新聞記事を大切に保管していました。その記事には地元の駅でまだ24歳の父が額に入れた自分の川柳を飾っている写真が載っていました。「駅長は『毎月どんな川柳を書いてくるのかとても楽しみにしているんです』と言いながら山本さんの背中を見つめていました」と締められていました。
私が小学生の時、妹と公園に遊びに行こうとすると夜勤で寝ていた父が呼び止めました。
「ちょっと待てや。遊びに行くならこれをポストに出しておいてくれ」
それは市が主催する交通安全週間の標語コンテストに応募するハガキでした。遊びに夢中になった私は夕暮れに家に帰る時にハガキのことを思い出しました。私は慌ててポストがある駅前に行き、ポケットの中で皴くちゃになってしまったハガキを投函しました。
それから数日後、母と買い物に行くと商店街で風船を配っている若い女の人がいました。風船には交通安全標語最優秀作品という白い文字が書かれており、その隣に印刷されていたのは私が皺くちゃにした川柳じみた父の標語でした。
「そういえば市から何か記念品が送られてきていたよ」
驚く私と妹に母があっけらかんとそう言ったのを覚えています。若い頃からいろんなコンテストで賞を獲っていたことを知っていた母には驚くことではなかったようです。その次の日に家庭訪問があり、私はまだ萎んでいない風船を先生に見せました。父のことを他人に自慢したのはそれが初めてです。
父には学校の勉強は教えてもらえないけど、酔った時に言うたわごとはまんざら嘘ではないのかもと思いました。
私たち兄妹が独立し、母と二人暮らしになっても父は酒を飲み続けていました。そしてあの東日本大震災が起きた年の春。桜が散って数日後に父は73歳の誕生日を迎えました。特に表立った病気はなかったのですが、誕生日から4日後の朝に布団の中で冷たくなっている父を母が見つけました。心筋梗塞による突然死でした。
お通夜の時、叔母が涙を流しながら言っていたことを私は一生忘れないと思います。
「あんたたちのお父さんは本当は頭が良かったんだよ。中学三年の時先生が家に何度も来てなんとか夜間高校にでも行かせてやってほしいと母ちゃんを説得してた。それでも『幼い弟や妹のために僕は働きます。高校に興味はありません』って・・・」
還暦を過ぎた叔母は棺桶に眠る父に顔を向けると、「高校に行かせてくれてありがとう・・・」と震える声で言いました。
私の兄が高校受験をした時、父は「発表はいつだ?」と毎日酔いながら母に聞いていました。そして合格発表の日、受かったと知った父は、「よし!」と珍しく大きな声で言いました。そして兄に「握手しよう」と手を差し出しました。兄は父を冷めた目で見ると、
「あんな高校、答案用紙に名前を書けば誰だって入れるんだ!」と言い放ちました。
それを聞いた父は怒るでもなく、ただ悲しそうに「そんなこと言うな」と呟きました。
父が死んだ日の晩、兄がその話を私にしました。私が知らないと思っていたようです。でも逆に私は兄がそのことを覚えているとは思わなかったので少し驚きました。
「あの人にとって高校進学っていうのは夢だったんだよな。あんなこと言わなきゃよかった。握手すればよかった・・・。本当はあの後すぐに後悔した。今までずっと後悔してたんだ」
兄はそう言うと淋しそうに少し笑いました。
父が使っていた箪笥から短冊形の色紙が数十枚出てきました。そこには父が作った川柳が書かれていました。その中の一つが今も我が家の玄関の壁に無造作に立て掛けてあります。玄関によく合うこんな川柳です。
「靴脱げば 楽しい今日の 旅づかれ」
図らずもこれは父の辞世の句ではないかと思います。命という靴を脱いだ父が人生を振り返り、「子どもの頃は苦労したけど、悪くない人生だったなあ」と酒を飲みながら空から笑う姿が見えます。「その酒のせいでこっちは楽しくなかったよ」と言い返したい思いですが、私のそんな言葉はいつも空まで届かずに空中で消えてしまいます。
父なりに生き抜いた73年間は父にしかわからない思いの中で日々苦しくもがいていたのかも知れません
「玄関の川柳の色紙はきちんと額に入れて花でも添えようかな」
春の足音を肌で感じて、私はそんなことを考えながら今日も空を見上げました。

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(志賀内)
人生って何だろう。そう考えさせられるお話です。山本さんのお父さんは、家族のために生きて来られたんですね。そう、家族の幸せのために生きること。なんて素晴らしい人生でしょう!
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(志賀内より)
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