エッセイ⑧ 「あの世で感謝のノンアルコールビール」

日本講演新聞中部支局長の山本孝弘さんに、心温まるエッセイを書きおろしていただきました。

「あの世で感謝のノンアルコールビール」
山本孝弘

12年前の初春に震災が日本を襲った。国を挙げての復興活動の中、桜前線が北上を始めた。いつもと変わらない綺麗な桜を少し憎らしく思った。だが満開の桜を見ていたら、春が来て例年と変わらずに粛々と咲いたその事実に感動の気持ちが広がってきた。震災も自然の力だが、桜が咲くのも自然の力だ。その人智を越えた業に畏怖の念を持った。

震災が起きたその年から「がんばろう東北」の合言葉の下、東北楽天ゴールデンイーグルスを率いたのは星野仙一監督だった。
星野さんは中日の監督就任が決まった1986年のシーズンオフに「燃えて勝つ」(実業之日本社)という著書を出版した。そこには生い立ちが書かれていた。
星野さんはお腹の中にいる時に父を亡くしている。
1964年、エース星野を柱とした倉敷商業は夏の甲子園予選で決勝まで進んだ。あと1勝で夢の甲子園へ出場するところだった。だが星野さんが打たれ敗戦。甲子園行きの切符を手にすることはできなかった。
星野さんはその日のことをこう振り返る。負けが決まった瞬間、泣き崩れるチームメイトの中、一人空を見上げたそうだ。
「ただぼーっと空を眺めていました。涙が出ないのは、顔も見たことがない父が、『男は泣くな!』と言って涙を押しとどめてくれていたのだと思いました」、そう語っていた。
倉敷商業が敗れたニュースは試合終了後すぐに倉敷市内に広まった。当然、星野さんの母親の耳にも入っている。そんな中、星野さんは帰宅した。慰めの言葉など聞きたくないと思って玄関の扉を開けると、そこにはいつもの母がいた。息子の顔を見ると慰めるでもなくただ一言、
「おかえり。これからご飯を作るね」と言った。
いつもの母だ。何があっても春が来ると同じように咲く桜のような母がいた。
そのいつもと変わらない母の温かさに17歳の星野少年は試合以上に打ち負かされた。涙を押しとどめていた亡き父の力も母の愛の前では無力となった。
「こっそり押入れの布団の間に隠れたんです。そこでずっと泣いていました。でも姉に見つかっちゃったんですよ。試合に負けたことよりそっちのほうが悔やまれます」
と星野さんは綴っていた。

震災は桜が咲く前に起きたが、桜が咲きそして散った春の終わりに僕の父はあっけなくこの世を去った。心筋梗塞による突然死だった。これもある意味、自然の業なのかもしれない。反面教師を絵に描いたような父だった。お酒ばかり飲んでいて、子どもの頃に遊んでもらった記憶も少ない。
では子どもに対し全く無関心だったかというと、どうもそうではなかった気もする。
20代の10年間、僕は東京で一人暮らしをしていた。10年に及ぶ東京生活最後の冬に大怪我をして重体になり救急車で病院に緊急搬送された。実家に帰るための引っ越しの日程まで決まっていたのに、最後の最後で味噌をつけた。
気付いた時は集中治療室のベッドの上だった。怪我をした場所は頭だったので意識もまだぼんやりとして視界もすぐれなかった。若い看護師の女性が、「気付きましたか。お父さんが来てますよ」と言った。「愛知から東京に来てるのか?」と驚いた。
父を先頭に妹と母がベッド脇に来た。それを意外に感じたのを覚えている。父が先頭で真っ先に来たことを。
「大丈夫か? 気付いたか?」と珍しく素面だった父は言った。
父はどうしようもなくだらしなかったが、きっと普通に父だったのだ。子どもに対する接し方が不器用なだけで、いつも同じ場所に立っているお地蔵さんのように僕たち子どもを見守っていたのだと思う。ワンカップ大関の匂いをさせながらではあったが。

いつもそこにあるもの。
いつもあるから感謝が芽生えない時がある。当たり前のことは当たり前すぎて感謝の気持ちを忘れてしまう。
日本中が打ちひしがれていたあの春。変わらずに咲いた桜に一瞬いらだちを感じた。だがその変わらずに咲く姿、変わらずに散る姿、その後にやってきた新緑の衣替え。次に来たいつもの暑い夏。そして次に山の葉が赤や黄色に色付いた後に、寒い冬がやってきて、また春が巡ってきた。太古から変わらずにひと回りした四季。そこに感動を覚える。
「父の遺影は全く僕に似ていない」と星野さんは言った。きっと後ろ姿はそっくりだったはずだと信じていたと言う。僕は父に嫌になるくらい似ている。遺影を見ると自分の遺影かと思うくらいだ。
これは父が生前詠んだ川柳だ。
「花嫁が 父に感謝の 酒を注ぐ」
酔った父は嫌いなので酒など注ぎたくはないが、あの世で会った時は、花嫁ではなく僕が父に感謝のノンアルコールビールを注ごうと思う。

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(志賀内)
私も父親の事を思い出してしまいました。生死を彷徨う病気になったとき、やはり病院のベットまで来てくれました。一言。「昨日と比べるなよ。1週間、2週間前と比べればよくなってるはずだ。焦るなよ」。今でもこの言葉は心に刻まれています。親子というものについて、考えさせてもらったお話でした。山本さん、ありがとうございます。

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(志賀内より)
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