富士山が見えますよ (2010/5/23)

 今年一月五日。春日井市の望月裕子さん(58)が実家を訪ねた帰りに、新横浜駅から新幹線に乗った時の話。通路側席で雑誌を読んでいると、隣の窓側席の女性に声を掛けられた。赤ちゃんを抱えた若いお母さんだった。言葉が聞き取れず、顔を向けると目が合った。「富士山が見えますよ」。今度ははっきりと聞こえた。「急に話しかけてごめんなさい。ほら、あそこに」。彼女が指を差す方向をたどると、雲と雲の間に白い三角形が見えた。「あ、本当。きれいですね」

 しばしば、実家との往復のため新幹線に乗る。隣の席の人と世間話を楽しむことがある。中には話が弾んで、住所を交換したことも。ところがある時、一方的に話が止まらない女性と相席になり、疲れ果てて懲りてしまった。以来、車内で他人と話をするのは控えるようになっていた。

 こんな若い人から声を掛けられたのは初めてだった。うれしくなって、久しぶりにおしゃべりを楽しんだ。お互いの子どもの話、実家の話。「名古屋の嫁入りって本当に大変なんですか」などとも聞かれた。望月さんはふと、子どものころのことを思い出した。父親の転勤の都合で東京の祖父母の家に預けられていたため、夏休みや冬休みになると両親の暮らす大阪へ行くためによく新幹線を利用していた。しばしば「一人でどこまで行くの? えらいわねえ」と声を掛けられたものだ。

 気付くと、富士山がすそ野まで見えるようになっていた。思わず携帯電話のカメラで写真に収めた。その写真を見るたび、今も彼女との楽しい会話を思い出すという。