第6回言の葉大賞入選作から(その1)

「言葉の力」を感じるときⅡ

 京都に柿本商事株式会社という会社があります。紙専門の商社です。寺町通りで「紙司柿本」という小売店も経営しています。偶然ですが、この店の大ファンで「かばんが重いよ~」と後悔するほど、ハガキや便箋を買い込んだことがあります。

 さて、柿本商事さんではCSRの一環として、言の葉大賞というコンテストを開催しておられます。「心温まる言葉、心にぐっと響く言葉、そのような伝えたい思いを、紙にしたためご応募ください」と全国に呼び掛けられました。

 第6回言の葉大賞の入選作品から、紹介させていただきます。

入選 中学生部門

「100%大丈夫」群馬県桐生市 桐生市立中央中学校2年 若月 裕飛

 「100パーセント大丈夫」

 母がよく使う言葉だ。口癖なのか、会話の中でよく出てくる。例えば
「明日、雨にならないかな」
「晴れるよ。100パーセント大丈夫」

 スポーツの試合をテレビで見ているときも
「日本、勝てるかな」
「勝てるよ。100パーセント大丈夫」

 そして僕は、その言葉を聞くたびに
「物事に100パーセントはないんだよ」
と返していた。

 夏休みがそろそろ終わるころ、僕は残っている夏休みの宿題を片付けていた。夜中の一時、突然電話がかかってきた。もう寝ていた母が電話に出た。僕は祖母からだとすぐにわかった。電話を切った母に何かあったのか聞くと、
「おじさんが救急車で運ばれたらしいから、今から病院に行くから」
と言った。

 すぐに母と兄と僕と祖母は病院にむかった。おじさんに会えたのは、朝の5時ごろだった。そのままおじさんは入院することになった。次の日から、毎日祖母と母は病院に行くことになった。僕は、母が帰ってくると
「どうだった」
と聞く。母は
「よくなってるよ。大丈夫、100パーセント治るから」
と言った。

 僕はその言葉を聞くとほっとした。毎日その言葉を聞くことが嬉しかった。一日一日回復しているおじさんのようすを聞いていると、100パーセントはあるのだと思えてくる。

 おじさんと僕は、僕が小さいときから仲がよかった。一緒に釣りや温泉に行った。そんなことを考えていると悲しくなったり、不安になったりしてしまう。そんなとき、僕は心の中でつぶやいた。
「100パーセント大丈夫」

入選 高校生部門

「家族」鹿児島県鹿児島市 鹿児島県立武岡台高等学校1年 岡﨑 望恵

 「腕がなくてもママはママだもんね」
私の母には右腕がない。

 私が小学4年生くらいから、母はガンで入退院を繰り返していた。父は仕事をがんばってくれているので、家の中は6歳離れた弟と2人だけの時が多かった。もちろん、家事は全て私がやる。周りは「えらいね」とか「女子力あるね」とかそんなことばっかり言うけどそうじゃない。せざるを得ないだけだ。試合の時や弟の遠足の時のお弁当も作らなければならない。

 そんな生活に慣れてしまった中学3年の夏。私の部屋に両親が入ってきた。二人で来るなんて珍しい。私は何か悪いことでもしたのかなと頭をフル回転させた。その時、「ここに座って」と、父の低くてどこか悲し気な声が私の小さな部屋に落ちた。腕を切らないといけない。その事実を母がかすれた声でゆっくりと話してくれた。私は生まれて初めて父の大きい目から出た涙を見た。

 受験勉強に追われた長い夏休みが終わり、母が入院した。6時半に家を出る父に起こされ、弟と手を繋いで登校する日々が続いた。受験勉強をしながら家事や弟の世話をしたりと、すごく大変だった。父も毎日がんばってくれていた。時には枕元に2人分のおかしを置いてくれていることもあったりした。少ししかないお小遣いの中から、わざわざ買ってくれているのは知っていた。でも、「ありがとう」はメールだった。

 母が腕を切った。病院がある福岡へ3人で向かった。

 母の右腕はなかった。母を直視することがどうしてもできなかった。母は笑っていた。苦しくて辛いのは母のはずなのに、私は笑えなかった。

 そんな私に父が「腕がなくてもママはママだもんね」と、母と同じ笑顔で言った。

他の「言の葉大賞」の受賞作品や、次回「言の葉大賞」の応募要項は、こちらをご覧ください。
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【発行】一般社団法人言の葉協会
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