第5回言の葉大賞入選作から(その4)

「言葉の力」を感じるとき

 京都に柿本商事株式会社という会社があります。紙専門の商社です。寺町通りで「紙司柿本」という小売店も経営しています。偶然ですが、この店の大ファンで「かばんが重いよ~」と後悔するほど、ハガキや便箋を買い込んだことがあります。

 柿本商事さんではCSRの一環として、2010年から「恋文大賞」というコンテストを始められ「心温まる言葉、心にぐっと響く言葉、そのような伝えたい思いを、紙にしたためご応募ください」と全国に呼び掛けられました。
http://koibumi-kakimoto.jp/about/index.html

 その後、2015年に一般社団法人言の葉協会を設立し、名前を「言の葉大賞」と替え、年々、応募数が増加しています。

 第5回言の葉大賞(テーマは「「ありがとう」の思いを伝えたい。」)の入選作品から、紹介させていただきます。

入選 文章(手紙・作文)部門

「泰山木の花」鳥取県米子市 宮原 玲子

 昭和50年代半ば、私は大阪日赤病院に就職した。鳥取に嫁ぐまでの3年間、私はここで青春を過ごした。当時の呼吸器科病棟の門の横には泰山木が立っており、初夏に両方の手の平を並べたくらいの白い花が咲いた。

 そのころ、肺癌末期の60歳のKさんが入院していた。体を清拭したり、点滴を交換する時に、ナースのお尻にタッチしてきた。ある日、主治医の市谷部長に、「何回もお尻をさわりはるんです。やめるように注意してください」私は直訴した。

 先生は眉間に皺を寄せ、思案した後、「彼の病気の進行はかなり早いんや。あと少しの間やから触らしてやってくれへんか。頼む」新米ナースの私に頭を下げた。Kさんは先生の親友だった。被害に遇っていないベテランの谷口ナースや婦長さんが声を上げて笑ったので、私は口を尖らせた。しかし、後で、(怖そうな先生やけど、ほんまはええ先生なんやわ)と、気が付いた。

 一か月後、Kさんは鎮痛剤の注射を打ち続けながら亡くなった。

 新人ナースにとって、患者の死に立ち会うことは恐怖である。ある患者が亡くなった翌日に、「自分の夜勤の時やのうて良かった」私は本音を漏らしてしまった。それを聞いていた谷口ナースに、強い口調で説教された。

 「あんたの考えは間違っているで。自分の親でも死に目にあわれへん人はぎょうさんいるんや。患者さんが亡くなりはる時に立ち会うということを、もっと大事に思わなあかんで」

 誰も反論せず、詰め所は静かになった。

 去年の春に退職するまでの34年間、私は多くの患者さんの臨終に立ち会ってきた。そのたびに谷口ナースの言葉を思い出して、深い思いで患者さんに手を合わせてきた。

 数年前に日赤病院は新築され、泰山木は切り倒されてなくなったが、あの白い清らかな花は、青春の頃に出会った人々が教えてくれた言葉と共に、私の心に咲き続けている。

他の「言の葉大賞」の受賞作品や、次回「言の葉大賞」の応募要項は、こちらをご覧ください。
http://www.kotonoha-taisho.jp/

入選作品集「「言葉の力」を感じるとき」Ⅰ・Ⅱや「言の葉CONCEPT BOOK」がお求めになれます。
  
【発行】一般社団法人言の葉協会
http://www.kotonoha.or.jp/pub/

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