鹿児島の池田学園の「ピョン太とピョン子の話」

鹿児島の池田学園の「ピョン太とピョン子の話」
志賀内泰弘

PHP研究所さんから「教育革命」というタイトルの本を上梓したことがあります。
副題は、「塾が作った学校の挑戦」。
そう聞くと、詰め込み主義やガリベンを思い浮かべることでしょう。

ところがどっこい。
これが違いました。
「頭良くするには、心を磨くのが先」だというのです。
一言でいうと、「全人教育」。

最初は、「本当なか」と疑いました。
富山、岡山、鹿児島、高知と四つの学校を訪ね、理事長、学園長、校長、教頭、先生方、生徒、児童、OBに取材をしました。
どの学校も、熱かった。
熱くて熱くて、この夏のように焦げ付くような心を持った人たちでした。

「人の情熱が、人に伝わり、人を変えていくんだな」と確信しました。

この本を書くにあたって、一つの偶然(奇跡か必然か?)が起きました
PHPさんから、「鹿児島のこの学校を取材してください」と言われた学校の名前を聞いてびっくり。
なんと、その池田学園の副理事長の池田真実さんが、もっとも親しい友人だったからです。

そんな不思議な出逢いに紡がれた、池田学園さんにまつわるエピソードを一つ紹介させていただきます。
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「ピョン太とピョン子の話」

志賀内泰弘
これは、池田学園の話ではない。学園長である池田弘氏が小学校の教諭をしていたときのエピソードである。しかし、池田氏の「全人教育」を語る上では欠かせないものであり、紹介したい。

池田氏が小学校5年生の担任をしていたときのことだ。
そのクラスには、備品としてドッジボールが2個置かれていた。子どもたちが、休み時間に遊ぶためのものだ。ところが、いつもいつも後片付けができない。授業の始まるチャイムが鳴ると、一斉に教室へ駆けて戻ってくる。「誰かが持ってきてくれるだろう」という依存心からだろうか。2つのボールは、校庭に転がったままになっていることが多かった。
池田氏は、ホームルームでこの問題について話し合いをさせることにした。どうしたら、解決できるのか。
「校庭へ持って出た人が、持ち帰るというルールにしよう」
という意見が出る。では、もしそれを違反したらどうするか。次には、罰則を設けようという意見が出る。しかし、いくら罰則を作っても、初めのうちだけですぐに元に戻ってしまう。そんなことを繰り返していたある日のことだった。そのクラスにいた双子の女の子のうちの一人が、ホームルームで手を挙げてこう言った。
「わたしは、まずボールを男子用、女子用と決めて、それぞれに名前をつけたらいいと思います」
みんなポカーンとしていた。
「この問題と何が関係あるんだよ」
しばらく沈黙が続いた。すると、今度は双子のもう一人の女の子が、
「賛成!」
と大声で言い、手を叩いた。それに釣られて、みんなも手を叩いた。何だかよくわからないうちに、ボールに名前を付けることが決まった。池田氏は、「どうなるのかな」と口をはさまずにじっと様子を見ていたという。
つい先ほどまで、「どうしたら、校庭のボールを忘れずに持って帰れるか」ということを話し合っていたはずなのに、教室ではワイワイとボールの名前をどうするかについてで盛り上がっていた。
意見がまとまった。
男の子用のボールには「ピョン太」、女の子用は「ピョン子」という名前が付けられた。双子の女の子は、張り切ってドッジボールに名前を書いた。それぞれ、青色と赤色のマジックインキで。
さて、予期せぬことが起きた。休み時間が終わると、誰かが必ずボールを教室に持ち帰るようになったのだ。いや、それだけではない。汚れていると拭いてきれいにする。ボールに、「ピョン太」「ピョン子」と話しかける子も現れた。誰かが袋を作ってきて、その中に入れて仕舞っておくようにもなった。なんだか死んでいたボールが甦る気がしたという。
そう、ボールが生きている。生き物を育てているような感じになった。
池田氏は、言う。
「あの子たちは、今頃どうしているのなかぁ。双子の女の子は、きっと結婚をして幸せな人生を歩んでいることでしょう。いいお母さんになってね」