「心の風景」

志賀内の親友である池田真実さんが副理事長を務めている鹿児島の池田学園さんが以前、発行していた総合誌「学び」38号から、中学二年の担任で、国語の指導をされておられる坂上弘子先生のお話を紹介させていただきます。
この池田学園は、県内トップクラスの進学校ですが、心の教育にも力を入れている学校です。こういうエピソードを「うれしい」と感じる先生がいる学校って、ステキだなぁと思いました。
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「心の風景」

池田学園・教諭 坂 上 弘 子

凩が吹く頃になると、
きまって思い出す「心の風景」を私は持っている。
歳月は巡り、あの日から3年が過ぎた。晩秋の寒い夕方のことであった。

その日は、帰りのホームルームが少し早目に終わり、
生徒の下校した教室は静けさをとり戻したばかりであった。
私は、3階の教室の窓ごしに何気なく外の景色に目を向けた。

高校校舎の出入口から、丁度生徒の下校が始まっていて、
三々五々バス乗り場へ急いでいた。
出入口の通路を隔てた植込みの前に、
1台の白いバンが止まっている。
生徒の下校時を避けていたのだろう。

車から老夫婦らしき2人が降りてきた。
学園に所用のある方らしく男性は車から荷物を下ろし、
忙しげに校舎に消えた。
御婦人は、周りの景色を楽しむかのようにゆったりと佇んでいる。

その時、先程の下校集団に遅れること3分、
1人の男子生徒が足早に校舎から出てきた。
軽く女性に会釈をして通り過ぎようとした時、事件は起きた。
突然の強風が女性の帽子をさらっていった。

生徒は、下校バスのことなどすっかり忘れているのか、
鞄を投げ捨てるように置くと帽子を目掛けて走った。
帽子の主も後を追った。
風と帽子と若者と女性は、戲れているかのように右へ左へと動き回り、
やがて帽子は地面を転がりながら止まった。

ようやく追い着いた生徒は、照れ臭そうに帽子を手渡す。
女性が頭を下げる。
生徒も下げる。
2人は楽しそうに笑っている。
何とも微笑ましくて、3階の私も笑う。
まるで無声映画の一シーンのような風景。
しかし、私には2人の会話が確かに聞こえた気がした。

生徒は、バスに乗れたのであろうか―。
わずか数分間の出来事であったが、
池田生の清々しい行為に私は胸を打たれた。
本物の優しさと、高い志を胸に秘めた若者の気高さをみた思いがした。
あの風景は、歳月を経ても決して色褪せることなく、
私の心の中で今も鮮やかに光りを放っている。