「心の掛け橋~安心してお過ごしください」

拙著、「毎日が楽しくなる17の物語
~心の三ツ星レストラン」(PHP研究所)
から、友人・池田真実さんのお話を紹介します。

「心の懸け橋
~安心してお過ごしください」

鹿児島県の私立池田学園副理事長・池田真実さんから、こんな心温まるお話が届きました。
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「ここの大家さんはとてもいい人なので、安心してお過ごしください」
遥か昔の話です。東京で学生生活を送るアパートを決めるきっかけとなったのは、この一枚の紙切れに書かれたメッセージでした。
部屋のフックにかけられたこの紙は、「前の住人が、後の入居者のために書き置きした」ということでした。面識のない人からのメッセージでしたが、都会での一人暮らしが初めての私にとって安心材料になりました。
数日後、荷物を運び入れた際、私はこの紙を大事にしまい、『このアパートを出るときに同じ状態にしておこう』と心に決めました。四畳半一間の狭いアパートですが、六畳にも八畳にも感じました。学生生活は何一つ不自由なく満足した生活が送れ、アパートを変わろうという気はさらさらありませんでした。それも、書き置き通りに大家さんの人柄に惹かれていたからです。
月末、家賃を支払いにいくと、「まあ上がりなさい」に始まり、目新しい「人生哲学」など織り混ぜての豊富な話が延々と続きます。アパートを経営する傍ら女優もこなすという。ロケに行く颯爽とした姿はバイタリティーに溢れていました。
それから四年の歳月が流れ、学生生活も終わり、いよいよ帰省する日がきました。私は入居する時と全く同じ状態にして、アパートを出ました。もちろん、しまっておいたメッセージもフックに掛けました。挨拶を済ませ、羽田に向かいます。四年間の思い出が頭の中で交錯し、いつもは長く感じる故郷までの帰路が短く感じられました。
帰省して、すぐ大家さんに無事着いたことを連絡します。開口一番、「おばちゃんは感動したよ。大事にとっていてくれたのだねぇ」 と真っ先にメッセージのことにふれると、その声は涙ぐんでいるように聞こえました。
それから一ヶ月と経たないうち、次の入居者が決まったという連絡がありました。新しい入居者とはもちろん面識はありません。しかし、あのメッセージが心の懸け橋となっていくにちがいありません。

「心の懸け橋~安心してお過ごしください」に学ぶ
気づきのキーワード

「人を信じられる心を養おう」

インターネットで簡単に情報が手に入るようになりました。
アパートを捜すのだって、ネットで検索すれば簡単です。でも、その反面、何が本当に正しい情報なのかがわからなくなってしまいました。突き詰めて言えば、何を信用していいのかわからない世の中です。
それに伴い、だんだんと人と接する機会が少なくなります。どうやってコミニュケーションを取ったらよいのかわからないという人たちが増えてきました。
ある子どもに、「友達は何人いる?」と聞いたら「100人」と答えたそうです。「すごいねぇ」と感心して話を聞いていくと、すべてメールやブログで知り合った人たちで、一度も会ったことがないということがわかりました。
メールやブログでならやりとりできるけれど、いざ直接会うと会話が進まない。そんな社会人も増えているそうです。
さて、池田真実さんのお話です。
池田さんは、アパートの前の住人とも、そして、次の住人とも一度も会ったことがないのです。それなのに、たった1枚の紙切れで気持ちが通じたのです。「一度も会ったことがない」という点では、インターネットの世界と同じようにも思えます。
しかし、大きな違いがありました。
直接には会ったことはないけれど、大家さんである「おばちゃん」が真ん中に入って入るのです。そして、おばちゃん本人の意思ではないけれども、知らない人から知らない人への心のバトンを紡ぐ役を担っているのです。池田さんは、
「ここの大家さんはとてもいい人なので、安心してお過ごしください」
という言葉に、前の住人の「思いやり」や「心の優しさ」「信頼」を匂いで感じました。「次の人のために、わざわざこんなことまでしてくれるくらいだから、本当に良い大家さんなんだろう」、さらに、「ひょっとすると、そのまた前の人も、またまた前の人も同じようにメッセージをと送り続けてきたのかもしれない」ということを、理屈ではなく肌で感じたからに違いありません。
その「感じる」ということは、たくさんの人に会って、胸襟を開いて語り合うことでしか身に付かないものです。
池田学園は、鹿児島ではラ・サールに次いで有名な、小・中・高の一貫教育の進学校です。でも、勉強ができるだけではありません。心の教育を重んじている学校と聞いています。
このエピソードが伝える思いが、池田学園の子供たちの教育に少なからず影響を与えているであろうことは想像に難くありません。
人を思いやり、信じられる心を養いたいものです。