「真実の話」より「父の背中」

 幼少の頃、私にとって父は遠い存在だった。当時、父は公立の小学校に勤務、夜は勉強や絵を習いに来る子供たちの指導で、私に構う時間がほとんどなかったからだ。

  ある日、友だちと会う約束をしていた私は、左右を確認することなく道路に飛び出し、後ろから来た車にはねられた。すぐ近くの病院に運ばれたが、その時の記憶は全く無い。

 気がつくと病院のベッドの傍(そば)に父がいた。目を疑った。学校にいるはずの父が近くにいるではないか。交通事故に遭ったという連絡を受け、学校から駆けつけてきたのだった。幸い怪我(けが)は足の捻挫(ねんざ)だけで済んだ。父は私を背負い、足の怪我を気遣いながらゆっくりゆっくり家に向かって歩き出した。遠い存在だと思っていた父が、少しずつ少しずつ近づいてくるのを感じた。

 『父は私を気にかけていてくれたのだ。そして私に何かあったら真っ先に駆けつけてくれる』

そう思うと胸が熱くなった。父の背中は大きく温かかった。この日の出来事は生涯忘れることはない。

 晩年、父は心臓の持病で入院した。入院中、私の肩につかまり何度か歩いた。少しだけ恩返しができた気分になった。父は日に日に弱ってきたが、本人の意思で最後は自宅に戻ることになった。

 平成30年1月4日、父は87歳の生涯を閉じた。私は残念ながら最期を看取(みと)ることができなかった。

 父は再び遠い遠い存在になった。もうあの父の温もりを感じることはできない。しかし、きっと近くで私を見守ってくれているに違いない。