「真実の話」より「大横綱とは」

 「巨人・大鵬(たいほう)・卵焼き」
1960年代に当時の子どもたちに人気のあったものを並べたものだ。その横綱・大鵬は1969年春場所二日目、46連勝を懸けて土俵に上がった。

 相手は平幕の力士・戸田。誰もが大鵬の勝利を疑わなかった。しかし、土俵際でもつれ、きわどい勝負に。行司軍配は大鵬に上がる。

 ここで勝負審判から物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちに。
大鵬の連勝は45で止まった。

 ところが、後から写真やビデオで見る限り、明らかに戸田の足が先に出ており、行司の軍配通り大鵬が勝っていた。

 後に「世紀の大誤審(ごしん)」と言われた一番となった。これをきっかけに、物言いがついた相撲にビデオ判定が導入されるようになったのである。

 行司の中で最高位は立行司といい、力士で言えば横綱にあたる。腰に脇差しを差しており、差し違えがあった場合はその脇差しで腹を切る。それくらいの覚悟で立行司を務めているという。

 この誤審について大鵬は「物言いがつくような相撲を横綱が取ることが悪い」とコメントし、行司や勝負審判を責めることは一切なかった。

 よく失敗したときに、言い訳をしたり、何かのせいにしがちだが、大鵬の姿勢は立派だった。

 横綱には強さももちろん、土俵内外の立ち振る舞い、昨今よく言われる「品格」も問われる。

 これらを兼ね備えた大鵬が「昭和の大横綱」と言われた所以である。