明日に繋がらない今はない

明日に繋がらない今はない

わたしの街の映画館が、小説になった。さらに、それは今回、地元の劇団で舞台化された。その名は「波の上のキネマ」。誇らしくもせつないドラマだ。
60年ほど前、日本中にたくさんの映画館があった。尼崎市内には50軒近く、わたしが住むJR立花駅周辺にもなんと4軒もあったのだ。そんな映画全盛期とはいえ、さすがに多いと思われる。それは阪神工業地帯にある労働者の町ゆえのことに違いない。当時はまだテレビが家庭に普及しておらず、映画が唯一の娯楽だったのである。
それはこんなストーリーだ。映画産業が斜陽となり、町から次々と銀幕が消えて行った頃。映画館「波の上キネマ」も例外ではなかった。自らも閉館の危機に追い込まれたある日のこと。主人公である館主は、映画館を創業した祖父のルーツを調べ始める。そこへ、祖父が西表島で知りあった男性の孫と名乗る男が訪ね来る。それは遥か昔、西表島で過酷な労働を強いられた台湾人だった。これ以上はネタバレになるので控えるが、主人公は祖父の凄まじい過去を知ることとなる。
史実とフィクションが混在し、いたるところに張り巡らされた伏線が、グイグイと読む者を小説の世界へと引き込んでいく。わたしは、ふと思った。「こんなに奥深く場面展開の多い物語を、どうやって舞台にするのだろう?」と。作者の意図を観客に伝えられるのだろうか。しかもコロナ禍だ。不安と緊張の中、俳優陣やスタッフの神経は持ちこたえられるのかと心配になった。
だが、それは杞憂だった。原作者の伝えたいこと。「どんな時代にあっても、過酷で困難な環境にあっても、希望を失わずあきらめなければ明日はある」。それが心にずしり届き、涙があふれた。「生きるしかない。でも、決して一人ではない。あの時代があって今がある。今に繋がらない過去はないのだ。明日に繋がらない今はない。多くのかかわり合う人たちと手を携えてあきらめないで歩くのだ」
二十三景にも及ぶ舞台転換を、舞台上の俳優たちが力を合わせて黙々とこなし、幕は降りた。尼崎市ピッコロ劇団の、すばらしい舞台だった。
もちろん、「波の上キネマ」は物語の中の架空の映画館だ。だが、わたしの記憶の中には、まるであの頃の立花の街かどに、本当に存在していたかのような、懐かしい存在になった。