生涯現役

「生涯現役」

わたしども夫婦は、わたしの両親が創った店を継いだ。兵庫県尼崎市にある僅か10坪の零細書店。今年で創業68年になる。父は8年前、96歳で亡くなった。兵庫県北部の山陰地方で11人兄妹の5番目に生まれた父は、尋常高等小学校の卒業式の日に、12歳で尼崎に丁稚奉公に出された。奉公先は大きな金物屋だった。
その後召集令状が届き戦地に赴く。命懸けの日々を過ごし、多くの戦友を喪った。中国の青島で終戦を迎える。復員し実家に戻るが既に両親は亡くなっていた。周りのお膳立てで結婚、仕事もお金もない中でわたしが生まれた。
昭和24年、尼崎で本屋を営んでいた従兄弟を頼り、乳飲み子のわたしを連れて故郷を出る。3年後に独立するも、たくさん本を持っていた大学生さんに本を借り、棚に並べただけのお店だった。まだまだ戦後の色が濃く、街のあちこちにアコーディオンを弾きながら手足を失った傷痍軍人さんが座っていたのを記憶している。
そんな時代だが、大人たちは本当に黙々と働いていた。「何屋さん」も朝6時には店を開け、夜は11時ごろになるとようやく閉める。口には出さないが、「二度と親や兄弟、子供たちを戦争で亡くすことのないように」、「一日も早く日本が復興するように」と思いを秘めて働いていたに違いない。 両親もわたしと妹を必死で育て、「いつ寝ているのだろう」と思うほどよく働いていた。おかげで、貧しさも感じないくらい幸せな子供時代だった。
わたしは縁あって主人と結婚し、思いもかけず商売を継ぐことになった。何よりも強く思うのは、両親が築いてくれた地域での信用が「宝」であり「ちから」であることだ。誠実に生きることの大切さを、わたしたち夫婦は、はお互いの両親から学んだ。
7年前、母を亡くし泣き暮らしていた父が、昏睡状態なった時のことだった。カッと瞳を開いたかと思うと「日販(取引をしている問屋)の支払い、ちゃんとできてるか!」と叫んだ。最期の時が近づいてるにもかかわらず、店のことで心配をかけていると思うと、胸がつまった。「大丈夫よ」と答えると、「そうか、もう心配せんでええな」と言い、ふっと目を閉じた。そして、二度と開くことはなかった。「生涯現役」。見事な終わりかただったと誇りに思っている。