後輩を育てるということ

「後輩を育てるということ」

2020東京オリンピックは、コロナ禍での開催に反対意見も多く、わたし自身もいろいろ考えて複雑な心境だった。そんな中、朝のニュースで、ソフトボール競技が金メダルを獲ったことを知った。北京オリンピックで金メダルをとって以来13年、主将の上野投手は先日39歳になった。当時、やはりエースだった彼女は、「自分ががんばらなければ!」と、思っていたという。金メダル後の試合で顔面に打球を受け、顎の骨を骨折する大怪我で入院してしまう。そのとき、何を考えていたかという質問にこう答えている。「北京後、自分は惰性で投げていた気がします。その時に『何してるんだ、もっと本気になれ!』と、神さまに言われたのだと思いました」。
そして彼女は、力強く復帰したのだった。しかも、その途中でさらに気づく。「自分が頑張ったって、こうして何があるかわからない。一人でやる競技ではないのだ。歳を重ねるということは、後輩を育てるということでもある」と。そこで、上野投手は自分よりはるかに年下である二十歳の後藤投手にアドバイスすることを始めた。
その後藤投手は、こう語る。「上野さんは、自分が知りたいと思っていることを的確に教えてくれました。自分はどんどん変わりました!」と。育てるとは、教えるとはそういうことなのだと思う。背中を見て学ぶという方法もある。しかし、的確なアドバイスこそが重要。相手にきちんと伝わってこそ、初めて「教えた」ことになる。
団体競技だ。捕手も、守りの選手も、控えのメンバーも監督やコーチも、誰一人欠かせないワンチームである。誰かの足をひっぱらないようと、一人一人が意識しつつ、ワンマンプレーにならないようにするのは、すごい精神力だと思う。
金メダルのかかった決勝戦に、監督は途中で上野投手から後藤投手に交代した。後藤投手は初めてのオリンピック。それも決勝戦。頭が真っ白になったという。そして再び、9回裏には上野に投げさせた。見事な采配だと思う。栄光に永遠はない。いくら脚光を浴びても、いつか選手生命は終わる。だから次に生命を繋ぐのだ。そして、そのことを両選手は知ったのだ!だからこそ、今この瞬間にベストを尽くすのである。頑張って生きた証として・・・。