大人の勇気

「大人の勇気」

もうかれこれ10年以上も前のことになる。うちの向かいに靴の修理を営む店があった。75歳くらいのおじさんが、毎日自宅から通って来て店を開ける。朝は、「おはようございます」。帰られる時には、「お先に失礼します」と、必ずうちの店の入口まで来て、挨拶をされた。それ以外には、あまり会話を交わした記憶がない。ずっと、ラジオをつけっぱなしにして寡黙に仕事をされていた。
そのおじさんは、だんだんと足が悪くなり、ひとたび座ると、すぐには立ったり歩いたりできなくなった。でも、仕事は丁寧で修理を待つ人があとをたたなかった。真夏と真冬以外は入口を開けていたので、一歩表に出ると仕事をしているおじさんがよく見えた。ただ、わたしが店の中にいるとおじさんの様子は見えない。おじさんからの方からもわたしの姿は見えなかったはずだ。
ある日のこと、わたしが店の中にいると、突然、 「あほ!」という怒鳴り声が聴こえた。続けて、「そんなしょうもないことで、人生わやにすんな!」という大声。あわてて外に出る。すると、高校生ぐらいの男の子が、自転車で一目散に走ってゆくところだった。向かいのおじさんが、いつも座っている椅子から立ち上がって仁王立ちになっていた。
「どうかしました?」と尋ねると、「あんたとこの週刊誌見てた男の子が、わしが後ろから見えてるのを知らずに、左右をキョロキョロしてその本をさっと自転車の前かごに入れたんや。週刊誌一冊盗って成功したらまたするやろ。そんなことで人生に傷つけてどうすんねんて思ったら怒鳴ってた」と言う。「びっくりして本もどして行ったわ。大きな声ですんません」。
通り沿いの店頭に週刊誌や雑誌を並べているので、わたしには外の様子が見えにくい。だから万引きもなかなかわからない。わたしは、「ありがとう!よう言うたってくれました、きっともう二度としないと思います。ありがとうございました」とお礼を言った。なぜかしら涙が溢れてきた。盗るのはいけない、そのことを叱る「大人の勇気」が必要だ。「つまらないことで人生に汚点を残すな」と言うおじさんが神々しく見えた。その後まもなく、おじさんは亡くなられた。あの言葉がわたしへの「遺言」だと受け取めている。しっかりと胸の奥に。