人は誰も泣くために生まれてきたのではない

「人は誰も泣くために生まれてきたのではない」

三年前、作家やカルチャースクールの講師を招いてのワークショップを企画した時のことだ。知人から「私の妹が一冊だけだけど絵本を出版したことがあります」と聞き、早速電話をして参加のお願いをした。
ところが、開口一番、「兄が何と言ったか知りませんが、やったことがないしお断りします」とにべもない返事。一瞬たじろいだが、「手作りの会なんです。子どもたちと一緒に一日遊ぶと思って参加していただけませんか。きっと、次の絵本を描かれるのに役に立つと思うのです」と説明した。だが、それでも断られてしまう。実はこの時、私はなぜかしら直感的に「この方に来て欲しい」と心に熱いものを感じていたた。ここで縁を切ってはいけないと思った。そこで、「一度お会いしてお茶でもご一緒しませんか」と誘うと、数日後、わざわざ訪ねて来て下さった。
近くの喫茶店で話をした。最初はお互いの会話もぎこちなかったが、徐々に打ち解け、「参加させてください」という返事をもらえた。そしてイベントの当日。彼女のワークショップは好評で参加者の皆さんからは感謝の言葉をたくさんいただいた。私は、諦めずにお願いして本当によかったと思った。
時は流れ昨年末のこと。私のことが書かれた本に手紙を添えて彼女に送った。すると、すぐさま返事が届いた。そこにはこんな趣旨の事が・・・。「小林さんに電話をいただいた頃、落ち込んでいたのです。主人が脳腫瘍とわかり笑うこともなくなり引き籠る主人を前にして、何かにチャレンジする気持ちなどとうてい湧いて来なくて・・・」。そんな事情があったとは露知らず。無理を言ってしまったことを後悔した。しかし、手紙はこう続けられていた。「お目にかかり、なぜか不思議な力が湧いて、きれいな空気をいっぱい吸い込んだ気になったのです」。
その後、ご主人は手術を受けて現在はリハビリ中とのこと。辛い日々は続いているが、「小林さんならこんな時、どうするのだろう」と思って勇気を奮い立たせて暮らしているというのだ。
私は何も彼女の力になれないことが歯がゆい。でも、自分も病気の夫を支えて来た経験だけはある。ご夫婦に平穏な日々が戻ることを祈って、返信をしたためた。
「人は誰も泣くために生まれてきたのではありません。一人で抱えないで助けを借りてくださいね。誰にもわからないと言ってしまうと、つらいのは自分なのです」