心配してないよ

「心配してないよ」

ドキュメント映画「まちの本屋」が、昨年末に続き大阪で一般公開された。5月15日から3週間というロングランだ。僭越ながら、その本屋とは小林書店のことである。
この映画が生まれたのは、東北のカリスマ書店員さんの著書「まちの本屋」発刊記念イベントとして企画された座談会に出させてもらったのがきっかけだった。それは2015年、東京でのことだった。
「まちの本屋をあきらめない」と題した、一般に参加を募るイベントだった。その100名余りの参加者の中にも映画制作会社に勤めるОさんがいた。それが出逢いとなり、Оさんは何度かわざわざ尼崎のうちの店まで訪ねて来られた。そして、3年が経った頃のことだ。Оさんから、一通の手紙が届いた。わたしに密着取材をしたいという。返事を渋っているわたしの知らぬところで、彼の勤める会社は傾きかけていた。わたしは、そんなことは露知らず、取材に応じた。
大阪での上映会で一週の間毎日、映画館の別室でОさんとわたしはリモート対談を行い、それをスクリーンで会場に映した。その初日に、わたしは初めて驚くべき話を彼から聞くことになった。撮影のため、彼は何往復も東京と尼崎を機材を抱えて往復していた。ところが、その期間中に会社が倒産してしまったのだという。彼は会社の機材が使えなかったので、何と自腹でローンを組んでカメラなどの機材を購入した。36回ローンだ。それだけではない。自分の懐から捻出し、安価な夜行バスで往復していたのだという。どれも、初耳だった。にもかかわらず、まるで女優気分(?)で「銀幕デビュー」などと喜んでいたわたしは、今から思うと顔が赤くなる。まさしく能天気としか言いようがない。
上映3日目のことだ。大阪在住の彼のご両親が観に来られた。彼は、「実は今日は私の両親が来てまして」と言った。トークの終盤、「36回ローン」と「夜行バス」のくだりになり、彼は「両親には心配をかけ・・・」と言ったところで言葉が詰まった。隣のОさんを見ると・・・泣いている、わたしは何も言えずただ背中をさすってあげた。終了後、一緒に一階に降りてお客様を見送った。すると、お母様さんが彼のそばに近づき、ぽつりとおっしゃった。「心配してないよ」と。彼はまた泣いた。心配していないはずがない。誰よりも心配するのが親だ。でも親は、自分の育てた子に「心配していない」「大丈夫」と言い切るのだ。なんと深い愛であることか。
彼がますます活躍の場を広げられるよう、そしてご両親の愛に報いるよう、わたしは精進しなけれはと改めて強く思う。