へなちょこリハビリ日記

「へなちょこリハビリ日記」

今年の1月、友人が脳出血で救急搬送された。五十代半ばの女性でフリーライターをしている。一人暮らしだったが、身体の異変に気づき幸い自分で救急車を呼ぶことができた。しかし、右半身の麻痺がひどく、リハビリ後の回復には困難を極めるものと思われた。彼女はショックに打ちひしがれ、周りの友人たちはかける言葉がない。ましてやこのコロナ禍だ。誰にも会うことがかなわず、一人で病と格闘しなくてはならないことは、きっと社会から放り出されたような孤独感があったと思う。
ところが彼女は、しばらくしてフェイスブックに投稿を再開した。その名も「へなちょこリハビリ日記」だ。決して元気には書けるわけではない。落ち込んで、今まで見せたこともないくらい駄目なところもさらけ出すことにもなる。それを承知で、「読んでほしい、受けとめてほしい、助けてほしい。私がまたみんなの仲間にもどれるように・・・」と、彼女の叫びが聞こえるようであった。まさしくその通りなった。ある日は絶望的になって泣き叫び、ある日は昨日までできなかったことが一瞬できたと泣いて喜ぶ。ある日などは、療法士の先生に助けてとつかみかかり、ある日は泣いて甘える。なにしろ、あきらめてリハビリの手を抜いたらたちまち回復は止まるのだ。その赤裸々な告白は読む私たちにも多くの気づきを与えた。
三年前に脳梗塞で倒れ、「一生車イスです」と言われたわたしの主人は、今でも週2回、療法士さんのお世話になりリハビリを続けていることでずいぶん動けるようになった。外出は車イスが必要になるが、店内や家の中では物につかまって歩くことができる。もちろん人それぞれ症状は違うので、ひとくくりにはできない。だが、何より大事なことは、「あきらめない」ことだと思う。
「もの書き」である彼女は、「書く」ことが自分の生きる道だと改めて知ったのだ。だからあきらめず、治ると信じている。「へなちょこリハビリ日記」先日100日目になった。すばらしい!どんな状況にあっても生きていくかぎり、自分にできることはきっとあるのだ。つくづく本当にいい友人を持ったと思う。