どん底まで落ちたら
「どん底まで落ちたら」
児童文学作家の宮川ひろさんが、 平成最後の年末に、95歳で亡くなられた。代表作「るすばん先生」をはじめとして大のファンだった。30年以上も前のこと、出版社の人の紹介でお目にかかれた時の喜びは、今も忘れられない。
大変な時代を生き抜いた人特有の、強さと優しさがある方だった。 若い頃、代用教員をされ、結婚・出産後もずっと子ども向けの本を書く作家を夢見ていたという。ある日、電柱のポスターに目が止まった。「坪田譲治作文教室」の生徒募集とある。すぐさま申し込んだが、旦那さんが病気になり床に臥せってしまう。生活に困窮し、日用品を土間に並べて売ろうとするが見向きもされない。焼き芋を作って売り、糊口を凌いだ。
「店番」と「看病」と「子育て」をしながら、暇をみつけては書きつづけ、遅まきながらデビューを果たす。そして、次から次へと作品を発表した。子どもたちの心に寄り添って書いた作品がたくさんある。代用教員をしていたときの経験が生きた。
新刊が出るたび、サイン入りの本を送ってくださった。そこにはいつも、一筆「読んでみて」と添えられていた。関西方面を訪ねられる際には、うちの店にも寄ってくださった。阪神淡路大震災で店の壁が崩れ「半壊」になったときのことだ。「立ち直れない」と弱音をはいたわたしの元に、荷物が届いた。中を開けると、ご出身地・群馬の特産「長芋」がいっぱい!手紙には「どん底まで落ちたら、あとは上がるしかないのよ!がんばって!」と綴られていた。号泣した。「なにを甘えてるーもっともっと大変な人たちがいっぱいいるのに」とも。以来、何か壁にぶつかるたび、この言葉に励まされた。
「なかなか身の回りのことができなくなったから」とご自分から施設に入られたとお聞きした。昨年末、ご様子伺いの手紙を出すと「寒くなりました。おたずね、ありがとうございます。おだやかに新年を迎えます。あなたも元気でよい年をお迎えください」とご返事が届いた。ご家族の代筆だった。それが、12月29日の消印。その2日後、新聞の訃報欄に先生の名前を見つけた。ご家族が投函してくださった直後に・・・。周りに温かな気遣いを尽くされ、その生涯を見事に生き抜かれた宮川ひろさんのことを、決して忘れない。