この街が好きだ

「この街が好きだ」

唐突に思った。「人が、今そこに住んでいるということは、とっても意味のあることではないか」と。近ごろ自分は「住むべくしてここに住んでいる」と、確信さえしている。もっとも、よそに住んだことがないのだから比べるものもないが、この尼崎は立花の地が居心地が良くてたまらないのだ。
居心地いいということは、「生きる」上でいちばん大切なのではないか、幸せなことではないのかと思う。70年以上前、両親がこの地を人生の場と決め、コツコツと商いの足場を固めた。最初は余所者であった。故郷が恋しく懐かしく、帰りたいと思ったこともあっただろう。しかし、ここで「生きる」と決めて寝る間も惜しんで働いた。そして、この地に生を受けたわたしは、この下町で走り回り、学び、恋をし、結婚し、やがて親となり歳を重ねた。
人と出会い、別れ、人を見送り、災害や困難にも遭った。でもいつもこの街の人たちが、風が包み込むように手を差し伸べて守ってくれた。どんなに辛くても、余所へ行こうと思ったことはない。 両親が亡くなり、もう10年以上が経つ。いまだに「おばあちゃんに配達してもらってた」「おばあちゃんに愚痴を聴いてもらった」「おじいちゃんの丹精の盆栽、分けてもらって今もちゃんと咲いてるよ」と、配達先や商店街ですれ違う人々から声を掛けられる。父も母は、この街の人々の心の中には、今も生き続けているのだ。
ふらりと、母の知りあいが店にやって来る。「おばあちゃんによくもらった味にはなかなかならんけど」。そう言い、夕飯のおかずのお裾分けをいただく。またある日には、ご近所さんが駆け込んで来る。「雨降ってきたよ、店見ててあげるから洗濯物いれて2階の窓閉めておいで」と。夫が病でリハビリ中だと、みんなが知っている。顔を合わせるたび、「無理したらあかんよ」と心配げに気遣ってくれるのは、わたしよりずっと年上のおばさんたちだ。
わたしは、この街に育ててもらった。この街が好きだ。この街で夫と二人、行けるところまで生き切りたいと願う。