おしゃべりオバチャン、映画になる

「おしゃべりオバチャン、映画になる」

もう5年前のことになる。当時、盛岡市の書店員だった田口幹人氏が書かれた「まちの本屋」の出版記念イベントとして東京で座談会が行われた。田口氏と、東京の書店員さんとわたしの三人が演題に上がり、一般募集の聴講者100名を前にして「まちの本屋をあきらめない」というテーマで語り合った。まちの本屋が生き残るためにどう考え、どう行動するのか。登壇した私自身も、二人の若い対談者の話をワクワクして聴いた。
その数日後のことだった。一人の男性が来店された。TV・映画の制作会社に勤める方で、あの座談会に参加され、わたしに興味を持たれたとのこと。「大阪が実家なので、時々寄ります」と言い、わたしのオススメ本を買って帰られた。それから2年ほどの間に、その言葉通りに幾度か立ち寄られては、本を買ってくださった。
そして一昨年、その男性から手紙が届いた。長文である。「小林さんのドキュメント映画を撮りたいので密着させてほしい」と書いてあった。密着なんてとんでもない。しがない本屋のオバチャンの日々の暮らしなんぞ撮って何がおもしろいのか、まったくわからない。すぐに断ったが、なかなか諦めてくれず説得しようとする。あげくに「映画館が認めてくれなければ、撮っても陽の目を見ないかもしれません」と言われ、「その通り、オバチャンの話なんて、誰も見たいと思わぬはず」と、気持ちが楽になり承諾した(口車に乗せられたのかもしれない)。
かくして、一昨年の9月から5か月間にわたって密着撮影された。その後、コロナ騒ぎとなりお蔵入りかと思っていたら、「公開が決まりました!」という知らせ。昨年末、何と東京で上映されて、多くの観客の目に晒されることとなった。ナレーションはいっさいなく、観る人を作り手の思いに誘導せず、それぞれに感じてもらえるような作りになっている。おかげさまで大好評。5月には大阪での上映も決まった。顔から火が出るほど恥ずかしい。一応、わたしを撮られてはいるものの、どのシーンを観ても、小林書店は多くの人のおかげで「いま在るのだ」ということがしみじみと伝わって来る。いい映画だ。おしゃべりなわたしのことを、支えてくださる方たちがおもしろがって観てくだされば幸いだ。