おいしかったし、かなしかった・・・

「おいしかったし、かなしかった・・・」

神戸市の湊川神社は、南北朝時代の名将、楠木正成を祀る神社である。「智・仁・勇」の三徳を備えた聖人と言われる。関西育ちのわたしたちにとっては、「楠公(なんこう)さん」と呼ぶ近しい存在だ。
「青葉しげれる桜井の里のあたりの夕まぐれ 木の下かげに駒とめて 世の行く末をつくづくと偲ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か♪」
楠木正成にまつわる唱歌「桜井の決別」だ。母は、子どもの頃、わたしと妹に子守唄がわりに何度唄ってくれただろう。その母から聞かされた思い出話。
大正13年に、わたしの母は山陰の田舎で生まれた。その少し前に、祖父(母の夫)は病死してしまう。未亡人となった祖母は、周りのすすめで他家に嫁いだ。母方の家に私の母と伯父(母の兄)を残したままである。
母の兄は、跡取りのいなかった父方の里に引き取られた。それは母が生まれて間もない頃のことであり、母がそのことを知るのは十代になってからのことだった。食べるだけが精一杯の時代、そんなことも珍しいことではなかった。
母と、伯父(母の兄)はお互いの家を親しく行き来するようになる。その付き合いの中で、わたしはその伯父にとても可愛がってもらうようになった。
母は高等女学校を出ると行儀見習いと称して、神戸の病院長宅に住み込みのお手伝いとして務めるようになる。田舎から出てきた14、5の娘にとって町での生活はただただ寂しかった。何度も帰りたいと思ったが、湊川神社で故郷を思いつつ「自分にはもう帰るところはない」と言い聞かせて日々を耐えた。
その院長先生のところに毎朝、パンのキムラヤから焼きたての食パンが配達されてきた。もちろん使用人の口には入らない。それまで一度も食パンを食べたことがなかった。焼きたてふかふか、いい匂い。この世で一番おいしいものに思えた。休みの日に、一緒に働く友達と一大決心をして、キムラヤに食パンを買いに行った。食べるところに困ったあげく、湊川神社に行き境内で食べたという。
母はわたしに、「おいしかったし、かなしかった・・・」と何度も何度もその話をしてくれた。
今、兵庫県書店商業組合理事会を月一回この湊川神社の横の婦人会館で行っている。いつも少し早めに行って神社で手を合わす。母はどのあたりで食べたのだろうか。わたしより遥かに若かった頃の母の苦労を思うと、涙が止まらない。今年の6月、その母の十三回忌だった。