あなたがいてくれて良かった

「あなたがいてくれて良かった」

高校卒業以来、何と54年ぶりに友達に会った。高校2年の春、彼女は広島から尼崎に転校してきた。お父さんは転勤族だった。もともと関東の生まれで、おそらく尼崎弁ベタベタの私たちクライメイトの会話にはとっつきにくかったと思う。彼女はほとんど笑顔を見せず、口数もかなり少なかったと記憶している。でも、なぜかわたしとは馬が合い、少しずつ打ち解けて行ったように思う。
その後、運動神経が優れていた彼女は日本体育大学に進んだ。わずか2年間の付き合いだった。大学の同級生と結婚し、彼の故郷である青森県八戸市で義父母と共に暮らし、夫婦で高校の教師を定年まで勤めた。四人の子どもにも恵まれ、義父母を見送った。子どもたちは皆、東京に出て独立していた。東日本大震災があった際、孤立してずいぶんと不安だったという。そんなこともあり、決断して東京へ移住することを決めた。
わたしと彼女は、54年間年賀状だけで繋がっていた。東京の調布市でわたしの仕事をドキュメンタリーとして撮った映画「まちの本屋」の上映が決まった。そこで、ふと彼女のことを思い出した。開催の1週間ほど前に思い切って電話をかけた。すると、電話口の彼女は、答えた。「そこなら、車を運転して行けば30分ほどで行けるわ。行く!行く!」。
さて当日。舞台挨拶のために上京したわたしは、54年ぶりの彼女と会った。驚いた。実によくしゃべるのだ。懐かしい話をしようと、高校時代の先生や友人たちのことを話題にするが、一切覚えていないと言う。わたしは「どうして?」と尋ねた。彼女は言う。
「だって、本当に学校がいやだったんだもの、わたし、あの頃、最悪の反抗期だった・・・」「えっ!?」
その地の言葉に慣れないうちに、次の地へと転校を繰り返す。当然、友達もできない。最初から、仲良くなることなど期待していないのだろう。今頃になって、わたしはその一言で彼女がどれほど辛かったかを思い知ることとなった。「ごめんね・・・」と、心のなかでつぶやくわたしに、彼女は言った。「でもね、あの時、あなたがいてくれて良かったわ」。わたしは胸が熱くなった。彼女は言葉を続けた。「今日ね、あなたがあの後、どれほど一生懸命に生きてきたかということを見れて、本当に良かったわ。感動した!」
わたしは、涙を抑えることができなかった。