高野登さん「運転手さんのお話ふたつ」

「ザ・リッツ・カールトン・ホテルの
心に届く『おもてなし』」

         〇 高野登さんが、ザ・リッツ・カールトン・ホテルの日本支社長時代に、志賀内が編集長を務めていた月刊紙「プチ紳士からの手紙」に寄稿いただいたお話を紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「運転手さんのお話 ふたつ」

           人とホスピタリティ研究所代表
高野登

バスやタクシーの運転手さんは、ほんとうに大変だなあと思います。来る日も来る日も、乗客を安全に確実に、かつ時間通りに目的地まで届けなくちゃならない。仕事で起きることは嬉しい事ばかりではありません。自分の体調が少し悪い日もあるでしょう。それでも毎日、お客さんの人生を支えながら、仕事に真正面から向き合っているんですね。そんな運転手さんのお話をしようと思います。

 最初はバスの運転手さんのお話。
 札幌に日進堂印刷株式会社という会社があります。この会社は、法政大学の坂本光司教授のベストセラー、『ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社』にも紹介されています。社長の阿部晋也さんから、24歳の男性社員の経験談を教えて頂きました。
 その社員がまだ学生だった頃、通学のため路線バスに乗り、いつものように終点で降りようと思ったところ、財布を忘れた事に気付いたそうです。
 「あっ まずい どうしよう?」 
 焦る気持ちをおさえ、彼は正直にお詫びしようと決めました。降りる人の迷惑にならないよう最後尾にまわり、運転手さんに正直に、財布を忘れてしまい、お金が無い事をお詫びしたそうです。
「わかりました。では料金は今度で良いですよ」
「ごめんなさい。次回必ず今日の分もお支払いします!申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げ、バスから降りようとしたその時、運転手さんから止められたのです。
「ちょっと待ちなさい!君、バス代はいいけど 今日一日どうするんだい?お金が無いと困るでしょ?これを持っていきなさい」
そういうと、自分の財布から千円札を2枚取り出し、彼に差し出したのです。
「それは受け取れません! 」、丁重にお断りする彼。
「いいから遠慮せず持って行きなさい」と運転手さん。名前や住所を聞く訳でもありませんでした。最初から貸すのではなく、あげる心積もりだったのですね。
後日、彼は菓子折りを持ってお礼に行ったようですが、その運転手さんは仕事中でお会いできなかったとの事です。会社の人もそんなことがあったのは誰も知りませんでした。
何事もなかったかのように、淡々と日々の仕事に向き合っている運転手さんだから、彼の真摯な態度に感じ入るものがあったのかもしれません。そんな素敵な経験をした彼もまた運転手さんの気持ちを一生忘れることはないでしょう。

次はタクシーの運転手さんのお話です。
長野市に中央タクシーという会社があります。顧客満足度、社員満足度は、群を抜いています。もちろん最初からそういう会社だったわけではなく、現会長が長年かけて、いまの社風を作り上げてきたのです。
中央タクシーの運転手さんの使命は「お客様の人生に命がけで寄り添うこと」。
数年前のこと、宇都宮会長がまだ社長だった頃のこと。社員から「社長、お電話です。何でも直接社長と話したいと言っていますが・・」
直感的に「苦情の電話だな」と思ったそうです。ホテルでもそうですが、上の者を出せというときは苦情に関するものが多いとうのが通例です。
電話に出ると、年配の女性がこう言いました。
「社長さんかね。私はもういい年をした婆さんです。毎週末にね、病院に通っているんですよ。必ず中央タクシーさんを使わせてもらっているんです。こんなことまで社長さんに話すのはどうかと迷ったんだが、やはり話さないと気が済まなくてね」
「やはり、苦情の電話だ・・」、そう確信したそうです。
その女性は続けて話し始めました。
「わたしゃ、数年前に倒れてちまってね、左半身がよく動かないんです。それで、病院に通っているんだけど、タクシーに乗るのが辛かったんですよ。
タクシーを呼ぶと、たいがいがうちの外でプッ、プッーってクラクション鳴らすんです。急いでタクシーまで行くんだけど、足が思うように動かなくて時間がかかってねぇ。後部座席のうえに杖を放り込んで、体を投げ入れて、いうことを聞かない左足を抱えてよっこらしょって中に入れるんです。そうするとね、たまに聞こえてくるんですよ。運転手さんの『早くしてくれねえかな、ババア』っていう声が。悲しいし、悔しいし。でも病人だからしょうがないと思ってました。
病院の待合で病気仲間とそんな愚痴話をしていたら、ある人が『あんた、中央タクシーを頼んでみたらどうかね。あそこは親切だよ』そう教えてくれたんです。
まあ大した違いはないだろうと思いながら、次の週に中央さんに電話をしました。
そうしたら、若い運転手さんが玄関まで来てくれて、私を抱えてタクシーまで連れて行ってくれたんです。ほんとにたまげました。今どきの若い人は、年寄りの体なんて触りたがらないもんです。その運転手さんは、私の体をそうっと後部座席に座らせてくれて、この動かない左足を、まるで宝物を扱うみたいに、両手でそうっと乗せてくれたんですよ。あたしゃ、驚きと嬉しさで、涙が止まりませんでした。
それからいろんな運転手さんが来てくれますが、みなさん同じように親切な人ばっかり。今じゃ、毎週、病院に行くのが楽しみで、楽しみで。なぜって、中央タクシーさんにお世話になることが出来るんだもの。今じゃわたしの人生の唯一の楽しみです。
忙しい社長さんにこんな婆さんのたわごと聞かせちまって悪かったねぇ。でもね、わたしゃ、どうしても生きているうちに、直接あんたにお礼が言いたくてね。
まさかこの年になって、生きてて良かったと思えるとは考えてもみなかった。中央さんにお世話になってるこんな年寄りがいることを、知ってほしくてね。社長さん、いい会社をつくってくれて、ほんとうに、ありがとう、ありがとう。」そこで電話が切れました。
宇都宮さん、受話器を戻したあと、しばらく動けなかったそうです。気が付けば、周りの社員がびっくりするほど涙を流していました。
中央タクシーは、一時は社内が荒れていて、会社では社員同士がけんかばかりしていました。お客さんとトラブルになることも日常茶飯事でした。
「こんな会社、世の中から消えたほうがいい」、本気でそう考えた時期もあったそうです。でもなかには真剣な社員もいる。彼らのために、この会社をつぶすわけにはいかない。彼らのためになんとしても立て直そう。そして10数年かけて、いまの中央タクシーに生まれ変わらせたのです。
「あきらめずにこの会社をやってきて、ほんとうに良かった」
中央タクシーの運転手さんたちは、長野の空の下、今日もお客さんの人生に命がけで寄り添いながら、元気よく走り続けています。