玉置ゼミ7期生 下野綾巳さん「虹」

「いじめ」が無くなりません。「いじめ」が原因で、自ら命を絶つ人もいます。それは学校の場だけに留まりません。企業では「パワハラ」と名前を変えて、存在し続けています。どうしたら「いじめ」や「パワハラ」が無くなるのでしょう。
教師を目指して勉強中の、岐阜聖徳学園大学・玉置ゼミ7期生 下野綾巳さんに、SNSで「いじめ」に遭った辛い経験を書いていただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「虹」              下野綾巳

2018年6月16日。私は命を投げ出そうとした。もう生きていくのが嫌だと思った。苦しかった。

当時、18歳。「教師になりたい」と思い、大学までエスカレーター式である中高一貫の女子校を飛び出て、大学へ入学した。小学校以来の共学は、不思議でいっぱいだった。学校の中には男の子もいて、同じ授業を受けている。女の子も女子校とは、一味違う。コミュニケーションの取り方が女子校の歯に衣着せぬ物言いとは違っていて、どこか察しなければならない空気感を感じた。何とかついていこうと沢山色んな人に話しかけた。空気や雰囲気も慣れないながらに精一杯読んだつもりでいた。

ある日、LINEにメッセージが届く。長い長い文章だった。私について書いてあった。私の悪いところばかりが挙がっていた。人に媚びを売っている、笑ってれば済むと思っている、とにかく沢山書かれていた。
最後に、「綾巳が居なくなったら、学科は平和なのにってみんなが思ってます」と書かれていた。きっとそこで何かがプツンと切れた。生きる気力がなくなった瞬間だった。涙が出ることもなかった。その日の夕方、気が付くと、マンションの屋上に立っていた。
屋上で、じっくり考えてみた。みんなって誰だろう。みんなはみんなか。そうだな、最近「おはよう」って言っても誰も「おはよう」って返してくれなかったもんな。居なくなったら平和なのかな。それもそうか、居ない方がいいよな、私なんて。どれだけ考えても、結果は同じだった。生きてても辛いだけだ。生きていても誰も私のことを必要だとは思ってくれない。
死んでしまおうか。と決めて一度深呼吸をした。深呼吸は上を向いて大きく息を吸う動作がある。久しぶりに空を見上げた。虹が出ていた。屋上で一人「あ、虹だ。」と呟いた。そこで初めて涙が出た。ボロボロと頬を伝う涙が全てを浄化してくれているような気がした。
私は、人生の節目で虹を見る。大学入試の日、高校の卒業式、大学の入学式。何かが変わる時、必ず虹が目の前に現れることを思い出した。「今更、何を。」と思った。でも、また虹が見たいとも思った。あの時、虹が見えていなかったら今私はここにいないだろう。

あれから、沢山の人と出会った。沢山の人の笑顔に触れた。沢山の優しく温かい言葉を頂いた。私の今の口癖は、「ああ、生きててよかった」。この言葉が全てを物語っている。生きてて良かったと思うことがそれ程までにあった。もし、この経験がなければどうなっていただろう。もっと幸せだったのか。「そんな経験しない方が良かったのに、可哀想だったね」と言われることもある。違う、宝物だ。この経験があったから、私は人の温かさを知り、人の言葉の重みを知った。どれだけ人に恵まれ、人は一人ではないことを知ったか。この経験がなかったら、きっと私は何も感じることがなかったはずだ。
今、私は、また教師を目指している。一度、死と真剣に向き合った人間だ。「死んだらいけない、今ある命を精一杯生きなさい」と軽々しく子どもに伝えることはできない。しかし、「どんな言葉を浴びせられても自分を好きでいてほしい。傷ついていい、苦しくなっていい。だけど、どうか死なないで。いつでも戻ってこられる。色んな人が貴方を好きだと言ってくれる。貴方が必要だと言ってくれる。」私は、教壇に立ってこう子どもに伝えたいと思っている。子どもの前に立つことが私の生きることに対する何よりの証明だからだ。

私の中学校実習の話をしたい。中学校実習の最後の授業。私は、いじめを題材とした道徳の授業を行った。担当の先生の許可を取って、私の経験を最後に話すことにした。子ども達に実習生として何か残せることはないか。しかし、こんなこと子どもに話してもいいのか。いや、それでも私の信念はここに在ると思い、勇気を出して担当の先生にご相談させて頂いた。担当の先生は、「よく頑張った。よくここに来た。最後の授業は、下野先生らしく子ども達に伝えてください。私は何も言うことはありません。」と背中を押してくださった。
もちろん授業は、流れが大切だ。私の経験を話す必要が無いと私が思えば、話さないつもりだった。授業が終わりに近づき、「下野先生は、いじめられたことがあるんですか?」と一人の男の子が私に問う。急に飛んできた言葉に驚いた。彼は、クラスのお調子者、いつも陽気にみんなを笑わせている子が真剣な顔をしてそんな質問をしてくるのだ。「どうして?」と彼に問いかけると、「なんか、普通のいじめの授業と違うから。気になっただけ。」と。返事は上手く出来なかったと思う。私は、ゆっくりと自分の経験を話した。だから、この授業をみんなにしたかったのだと、最後に、「みんなに授業をすることが出来て、幸せでした。本当にありがとうございました。」とお礼を言って授業を終えた。
授業後に回収したワークシートには、子ども達の本物の言葉が綴られていた。「先生が生きててくれてよかった。僕は、先生が先生になった方が絶対いいと思う。先生の授業で救われたのは僕だけじゃないと思う。僕は昔いじめられていたから先生の気持ちが分かったよ。」あのお調子者の子のワークシートだ。
また、「ああ、生きててよかった。」と口癖が出た。ワークシートにコメントを綴りながら、窓の方へ目を向けると空には虹がかかっていた。実習最終日、「あ、虹だ。」とまた私は呟く。涙が出た。こんなにタイミング良く虹はかかるものなのか。私の人生の節目だ。

私の人生には、虹がかかる。人との出会いが私を育て、私の心を強くする。次は、いつ「あ、虹だ。」と呟くのだろう。苦しかったあの日も嬉しかったあんな日も、心に留めている沢山の人から頂いた言葉も、
その全てが私を作り出していることを私は忘れない。そして、全ての出会いと人との繋がりを大切に今を生きていきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いじめられた人は、泣き寝入りすることが多いようです。いじめ
た側の人が、強く指導を受けたり、罰を当たえれたりしたという話
を、あまり耳にしたことがありません。それどころか、いじめに遭
った人の方が学校を休んだり転校したりと、ますます不利な状態に
追い込まれます。泣き寝入りです。
でも、下野さんの話を読んで、ほんの少しですがホッとしました。
いじめに遭ったことで、下野さんの心が「強く やさしく 温かく」
なったのです。きっと、子どもたちの心の支えになる素晴らしい先
生になるに違いありません。
志賀内泰弘