玉置ゼミ7期生 下野綾巳さん「家族を想い、人を想う」

岐阜聖徳学園大学・玉置ゼミ7期生 下野綾巳さんの書かれたお話を紹介させていただきます。
「家族を想い、人を想う」
下野綾巳

2011年3月11日。日本人が忘れてはならない日がまた一つ生まれてしまいました。東日本大地震。これは、私の父が家族に秘密にして福島へ向かった出来事のお話です。
2011年7月、父は家族に何も告げることなく、福島へ向かいました。原発から放射能が漏れ、いつ爆発するかも分からない状況の頃です。津波で流されたお札の鑑定や引き換えの業務だったと聞きます。
当時私は、小学校6年生。何も知らない私は、のほほんと生活していました。元より、父は単身赴任をしておりましたので、普段通り単身赴任先でお仕事をしているんだなあ、今回は長いなあと言ったぐらいにしか感じていませんでした。
それから、3年が経ち高校1年生の時に、私は父が小学生の頃、福島に向かったことを祖父から聞きました。「なぜ、話してくれなかったのか。」という想いが込み上げると共に、父がかっこよく誇りに思えました。ただ、一つ私の胸につかえることがありました。父の口からは、福島に向かったことを聞いていないのです。祖父から話を聞いても、どこか触れてはいけない気がして、私は父にその話をすることができませんでした。
大学生になって、コロナが襲ってきました。社会に悲しい雰囲気が漂い、いつ終わるか分からない恐怖に怯える時、ふと父の話が聞きたくなりました。父も怖かったと思います。不安や恐怖を差し置いて、そして、家族にも伝えなかったあの日々に父は何を想っていたのだろうと。
「なぜ話してくれなかったの?」と問うと、「心配をかけるから。」と父はたった一言告げただけ。それから、「なぜ行ったの?」なんて愚問は聞けませんでした。分かっていました。父は、「人の為になる仕事がしたい」と、「誰かの役に立つことをしなさい。そして、誰かを笑顔にできる人になりなさい。」と小さい頃から私に教えてくれていたから。それが答えなのだと分かっていました。
父は、家族を蔑ろにしたわけでもありません。仕事を取ったなんて思いもしません。人を想うことは、言葉には出来難い愛情が働いています。家族を想う愛と人の為を想う愛の双方を父は大事にしました。だから、当時も今も私は父を誇りに想うのです。
父と話をして、今、コロナ禍で日本を支えてくださる医療従事者の方を想いました。世の中で戦ってくださる人がいる。小さな家族のことはニュースにはなりません。しかし、目に見えることだけが全てではないのです。知らぬところで、知らず知らずのうちに生活を支えてくださる人がいます。家族を想う愛と人の為を想う愛を大切にしたいと戦ってくださっている人がいます。そのことを忘れてはならないと強く感じました。
現在、コロナ禍を支えてくださる医療従事者の方へ、心からありがとうございますとお伝えしたいです。
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なんでしょう。この心の中にじんわりと沸き上がる温かさは。父が家族のことを思い、そして、息子も父の事を思う。いい家族だな~。「誰かの役に立つことをしなさい。そして、誰かを笑顔にできる人になりなさい」。この遺伝子は間違いなく、引き継がれていくことでしょう。
志賀内泰弘