玉置崇教師奮戦記(その13) 30年後のごめんなさい

玉置崇教師奮戦記(その13) 30年後に「ごめんなさい」

新任教師のスタートは小学校勤務で、3年目は4年生の担任となった。そのときのある教え子と30年後に再会したときのことを伝えたい。

6年生担任は、小学校最後の担任ということもあって、子どもたちの記憶に残りやすい。卒業後に同窓会が開かれるのは、まず6年時の学級の同窓会だ。
4年生担任になったときは、この学級でも、将来、同窓会を開きたい、みんなと会いたい、と思える学級にするという目標をたて、日々、授業や行事に一生懸命に取り組んだ。オリジナル学級歌もでき、修了式の日には、子どもたちと大声で合唱し、大拍手をして「学級じまい」をしたことを記憶している。
4年生の学級でも同窓会を開きたいという願いが、30年後に実現した。かつての4年生の学級委員から、同窓会開催の案内が届いた。もちろん万難を排して出席した。

学級の半数ほどの出席者があって、酒を酌み交わしながらの楽しい時間が始まった。私の前には、教え子がビールや銚子を持って順番に近況報告をしにきてくれた。教師冥利につきる時間である。

ところが、ある教え子だけは私の前に来ない。ずっと座ったままで、近くの者とはやりとりしているのだが、私の前には来ない。

担任当時、その教え子とは特別な関わりがあった。彼が万引きをしているという情報が入って、個別に時間をかけて何度も話した教え子だ。
実はその教え子の家庭訪問をして、驚いたことがあった。トタン屋根の家屋で、玄関先の軒には穴が空いていた。玄関は狭く、靴やスリッパがいっぱいに散らばっていて、まさに足の踏み場もない状態だった。
彼はおばあさんに育てられていて、時として朝食や夕食も食べられない状況だと、前担任から聞いていた。お小遣いもおばあさんから時々もらえるだけで、友達と遊んでいても、自分だけはお菓子一つ買えず、ひもじい思いをしているだろうことも容易に想像できた。
だからといって、万引きをしてよい理由にはならない。万引きをしているのは間違いない情報だと考え、その子どもと1対1となって、万引きをしていることを告白させようと何度も試みた。ところが、彼は「絶対にしていない」という。
「正直に言った方が、気持ちが楽になるよ」
と伝えても、
「絶対に万引きはしていない」
と、いつも答える。
「友達がお菓子を食べているのを見ているとほしくなる気持ちや、お小遣いがないので盗むしかないと考えるのもよくわかるよ」
などと迫っても、
「絶対にしていない」
という。最後まで言い切るので、「わかった。君を信じるよ。いろいろと言ってごめんね」と、私が彼に謝って終わるのが常だった。

この教え子だけが、私の前に来ないのだ。時間だけが経った。
私が用を足してトイレから出たときだ。トイレの前に、彼が立っていた。私と二人きりになれる機会を待っていたことがわかった。彼はこういった。
「先生、私に何度も『わかった。君を信じる』と言っていただけました。あの言葉で私は何度も助けられました。でも、私は嘘をついていたのです。万引きは確かにしていました。あの当時は、食べることもろくにできず、本当に悪いことをしていました。今は、結婚して子どももいます。子どもには自分が体験したような苦しい生活をさせてはいけないと思って頑張っています。先生、長い間、嘘をついていてごめんなさい。このことを伝えたくて、同窓会に出席しました」
一気に私の涙が溢れた。教え子も大粒の涙を流している。トイレの前で抱き合った。30年経って受けた謝罪だった。

しかし、教師として子どもにとった行動は正しかったのだろうかと、振り返ってみて考えている。万引きを繰り返させてしまった、とんでもない教師だったのかもしれない。校長に「このような子どもがいますが、どうしたらよいのでしょう」と相談もしなかった。先輩教師に相談すれば、その子どものために良い対策を見つけることができたかもしれない。
一方で、あの生活状況からは、おばあさんに事実を伝え、子どもがひもじい思いをしていることを話しても、生活状況が改善されるとは思えなかった。伝えれば、子どもを追い込んだり、様々な事情から孫の面倒をみておられるおばあさんを苦しめたりするだけだったと思う。

私は彼の家を訪問して、自分がいかに恵まれた環境で育ててもらったかを痛感した。そして、自分の環境を基準に考えてはいけないと思うようになった。この意味からは、トイレの前に立っていた教え子は、私にとっては大いなる恩師だ。校長になったときに、教職員に「自分が育ってきた環境と、学級の子どもたち一人一人の環境は、まず同じではないと思って接してほしい」と伝えたのは、こうした体験があったからだ。